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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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原爆の影におびえ続ける85歳 「線」の外側から黒い雨の恐怖訴え

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国民学校3年生の時に、黒い雨を浴びた場所で当時の様子を話す住田康雄さん=広島県廿日市市で2021年7月24日、山田尚弘撮影
国民学校3年生の時に、黒い雨を浴びた場所で当時の様子を話す住田康雄さん=広島県廿日市市で2021年7月24日、山田尚弘撮影

 「明日生きとれるか分からん。死ぬる前に『黒い雨』が降ったと訴えたい」――。原爆投下後に降った「黒い雨」を巡り、新たに4人が、これまで「降雨域外」とされてきた地域で雨に遭ったと証言した。6日で被爆76年。声を上げた一人の住田康雄さん(85)=広島市安佐南区=は被爆で肉親を亡くしており、「原爆に怨念(おんねん)がある」と涙ながらに語る。「雨中の放射性物質が今も体内にとどまっているのでは」とおびえ続けた半生。「苦しんでいる人をきっちり救ってほしい」。降雨域の見えない「線」の外側から訴える。

 「僕の異変の原点は何か、とずっと考えてきた」

 「黒い雨」訴訟の広島高裁判決から10日後の7月24日、住田さんは爆心地から約30キロ離れた旧吉和(よしわ)村(現広島県廿日市市)にいた。米軍が原爆を投下した1945年8月6日、イナゴを捕って遊び、黒い雨でずぶぬれになった田んぼがあった場所だ。「あの時、異質な何かが体に埋め込まれたんじゃないか、と思えてならん。被害者を線引きする人に、僕の気持ちは分からんじゃろう」。目元をぬらした。

 36年に6人兄弟の五男として広島市内で生まれたが、間もなく親戚夫婦の養子となった。市内で和菓子屋を営む養親はそのことを告げず44年に養母が病死。その後に疎開した養父の故郷の吉和村で黒い雨を浴…

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【広島・長崎原爆】

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