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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「生き抜いてくれてありがとう」父の願い、広島の平和記念式典に参列

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熊本県の遺族代表として広島平和記念式典に初参列した古賀早穂さん(右)。式典後、原爆慰霊碑に夫と長女と共に手を合わせた=広島市中区の平和記念公園で2021年8月6日午前9時42分、中島昭浩撮影
熊本県の遺族代表として広島平和記念式典に初参列した古賀早穂さん(右)。式典後、原爆慰霊碑に夫と長女と共に手を合わせた=広島市中区の平和記念公園で2021年8月6日午前9時42分、中島昭浩撮影

 「死んだら原爆慰霊碑に参りに行ってね」。6日の広島市の平和記念式典には、熊本市東区の保育士、古賀早穂さん(57)が、2月に95歳で亡くなった父・吉永宣生さんの言葉を胸に、熊本県の遺族代表として初参列した。父が亡くなって初めて、母や姉から父の被爆体験や、その後の人生を詳しく聞いた。「亡くなったのは悲しいが、余計に父がいとおしくなった。生き抜いてくれてありがとう」。心の中で感謝を伝え、平和への思いを新たにした。

 陸軍船舶司令部に所属していた吉永さんは1945年8月6日、軍の備品調達で広島市内に行く途中、爆心地から約1・5キロの同市松原町(現・同市南区)で被爆。背中に風圧を感じ、爆風に押し出される中でとっさに工場のレンガ塀脇のどぶ川に飛び込んで逃れ、左頰にやけどを負うなどしたが、外傷はほとんどなかった。無我夢中で夕方に軍の施設にたどり着いた後、意識を失った。この間に「死体の山を見た」「水を飲もうとしたら軍…

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【広島・長崎原爆】

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