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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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広島原爆の日 「残された家族をも苦しめる」 被爆者、思いさまざま /広島

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 大竹市の加屋久子さん(93)は初めて8月6日に原爆慰霊碑を訪れた。あの日、安田高等女学校(現安田女子中)1年だった妹キヌエさんと母、叔母の3人が広島市内で勤労奉仕中だった。加屋さんは自宅のある大竹にいた。爆心地に近い相生橋の下で翌朝、体中焼けただれた妹の遺体を父が発見。母や叔母は一命をとりとめたが「誰か分からんくらいに顔の皮膚が垂れ下がり、生きた心地がしなかった」。母は後遺症に苦しみながらも103歳まで生きた。息子に支えられながらゆっくりと碑に向かい「息子や孫には戦争のない穏やかな世の中で過ごしてもらいたい」と願った。

 5歳上の兄邦男さんを亡くした安佐南区の福場隆子さん(86)は、原爆ドーム近くの動員学徒慰霊塔で手を合わせた。兄は爆心地から約500メートルで建物疎開の作業中、崩れ落ちたブロック塀の下敷きになったという。両親が2日後に遺体を見つけ、その場で焼き、手ぬぐいに遺骨を包み持ち帰った。「あの時抱いた生暖かいお骨の感触は、一生忘れることがない」。核兵器禁止条約に日本政府が批准していないことが歯がゆい。「いく…

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【広島・長崎原爆】

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