佐々木節子さん 「東洋の魔女」孤高の闘い がんにも「負けない」

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「この病気をしてからも、いろんなことをやってやると思っています」と元女子バレーボール日本代表の佐々木節子さんは言った=茨城県かすみがうら市の自宅で2021年8月2日、手塚耕一郎撮影
「この病気をしてからも、いろんなことをやってやると思っています」と元女子バレーボール日本代表の佐々木節子さんは言った=茨城県かすみがうら市の自宅で2021年8月2日、手塚耕一郎撮影

 背筋の伸びた長身の立ち姿が、横断歩道の向こうに見えた。「東洋の魔女」と呼ばれた1964年東京オリンピック女子バレーボール日本代表の金メダリスト、佐々木節子さん(76)は「何とかやっつけたい。こんなヤツらには負けない」と屈託なく語った。2年前に現れたがんとの闘いを、コートでの日々に重ねているかのようだった。

 茨城県かすみがうら市の郊外に暮らしている佐々木さんを訪ねると、自宅前の道に出て待っていてくれた。その立ち姿を見て顔も知らないのに本人だと直感した。

 母を26年前にみとってから1人暮らし。がんの中でも10年生存率が最も低いとされる膵臓(すいぞう)がんに加え、コロナ禍で外出もままならないという。週1回の抗がん剤治療を受けた夜は副作用にもだえ、脚は電気が走るようにしびれる。「窓から光が差すのを見て、朝が来て良かったと思うこともある」。だが「独居老人」の物悲しさはない。「体を丸めて歩くのは嫌。背中に物差しを入れていたい」と繰り返した。

 「12人の魔女」と題した赤茶けた雑誌を出してくれた。仲間と写った一枚の写真が目に留まった。「一番、魅力的ですよ」と冗談めかすと、「まだ、19だったんだよっ」と笑い返す。身長172センチ。細身で筋肉質の体形ゆえ「何をやっていたのか」とよく尋ねられる。そんなときは「私は女子プロ(レスラー)だったのよ」と、おどけてごまかすという。

 57年ぶりに東京で開催された五輪女子バレーボールのテレビ中継は、実は見ないようにしていた。「先輩面して見てもいけないから。今の人たちは性格もスタイルもいい。空中を舞うよう。私たちは地べたをはってドタバタだった。でもボールは落とさなかった」。ちょっぴり自負がのぞいた。

 「東洋の魔女」の歩みを伝える先輩も多い中、自身は深く語ってこなかった。その訳を尋ねると、こう答えた。「東洋の魔女はコートにいた6人だけで、私じゃない」。ただ、胸の奥で確かに記憶は残っていた。

 64年…

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