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マラソン服部勇馬 コロナ下で自問した「走ることの意味」

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東京オリンピックのマラソンテスト大会でコースを走る服部勇馬=札幌市北区で2021年5月、貝塚太一撮影
東京オリンピックのマラソンテスト大会でコースを走る服部勇馬=札幌市北区で2021年5月、貝塚太一撮影

 「本当に走っていいのかと思うこともあった」。5月5日、札幌であった東京オリンピック男子マラソンのテスト大会。レース後、東京五輪代表である服部勇馬(27)=トヨタ自動車=の率直な言葉に、実直な人柄がにじみ出ていた。新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化し、沿道には「五輪ムリ 現実見よ」と批判的なプラカードもあり、重苦しいムードが漂っていた。

1年延期より札幌移転に衝撃

 あの時も同じだった。2019年9月、東京五輪とほぼ同じコースを走る代表選考会(MGC)で2位となり、五輪代表に決まった。しかし約1カ月後、国際オリンピック委員会(IOC)が突然、マラソン会場を東京から札幌に移す方針を示した。背景には、直前に行われた世界選手権ドーハ大会で、酷暑の影響で選手が相次いで途中棄権した異常事態があった。

 19年11月2日、服部が日本陸上競技連盟の瀬古利彦・マラソン強化戦略プロジェクトリーダーらと会食した際、札幌開催に話が及んだ。もやもやした空気の中、服部がポツリと言った。「僕らはモスクワ五輪のようにボイコットになるわけではない。札幌でできるのは幸せですよね」

 その瞬間、瀬古さんは胸が詰まったという。「モスクワの話も(服部が)生まれる前で知らないだろうけど、ちゃんと勉強して分かっているんだな」。瀬古さんは東西冷戦で西側諸国が参加をボイコットした1980年モスクワ五輪の男子マラソン代表だった。

 服部にとっては後の五輪1年延期より、開催地の変更の方が衝撃的だった。最初に話が出た時、「やはり東京で開催してほしい」と電話口で珍しく…

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