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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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父の命、つないだ桟橋 救護所・似島へ 広島・平和記念式典、県遺族代表・黒木さん /徳島

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似島の桟橋に立つ黒木律子さん=広島市南区で2021年8月5日午後4時19分、池田一生撮影
似島の桟橋に立つ黒木律子さん=広島市南区で2021年8月5日午後4時19分、池田一生撮影

「いつかこの地を」思い続けて

 6日の広島・平和記念式典に県遺族代表として参加した黒木律子さん(68)=鳴門市=には、今回の広島訪問で立ち寄りたい場所があった。広島湾に浮かぶ似島(にのしま)(広島市南区似島町)だ。島には、原爆投下後に治療のため負傷者1万人超が運び込まれ、多くの人が息を引き取った。2020年9月に95歳で亡くなった父増田晃さんは、ここで被爆直後を過ごした。原爆の日を前にした5日、2人の妹たちと初めてこの地に立った黒木さんは「この島がお父さんの命をつないでくれた。けど、たくさんの人が亡くなったんだね」とつぶやいた。【池田一生】

 晃さんは徳島から広島高等師範学校(現広島大)に進学し、20歳の時に爆心地から約1・3キロにあった下宿先で被爆。近所の人にがれきの中から助け出されたが、左腕や背中を負傷。軍の施設が置かれ、原爆投下後は検疫所が臨時救護所となっていた似島へと船で渡った。

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【広島・長崎原爆】

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