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ヤングケアラー

通学や仕事をしながら家族の介護をする子ども「ヤングケアラー」。将来が左右される深刻なケースも。

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小学4年から「小さな保護者」 22歳女性の経験から見えたケアの実態

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グループホームで利用者に夕食を作るバレンシア・ジョセリンさん=川崎市中原区で2021年6月15日、丸山博撮影
グループホームで利用者に夕食を作るバレンシア・ジョセリンさん=川崎市中原区で2021年6月15日、丸山博撮影

 政府が4月に公表したヤングケアラーに関する初の実態調査で、小学生は調査対象から外れた。しかし、一部の研究者の調査で小学生ケアラーの存在は把握されている。小学生時代から家族の世話や介護に追われた子たちは、どんな思いで生きてきたのだろうか――。記者(私)は、子どもを支援する団体などあちこちに取材していた先で、一人の女性に出会った。病気の母に代わり、幼いきょうだいの世話や家事を担い始めたのは小学4年生の時だという。彼女は今、大学4年生。取材を通じて見えたのは、家族への責任感を背負い込んだ「小さな保護者」の姿だった。【三上健太郎/デジタル報道センター】

 「今日は何をしていたの?」「お母さんと仲直りした?」

 軽度の知的障害者の女性3人が暮らす、川崎市中原区のグループホーム。6月半ばの午後6時過ぎ、一軒家を改装したこのホームでバレンシア・ジョセリンさん(22)=フィリピン国籍=が同年代の利用者に話しかけていた。

 バレンシアさんは週2回、ここで調理や掃除のアルバイトをしている。この日の夕食の献立は肉じゃが、ピーマンとハムのサラダ、みそ汁、白ご飯にフルーツ。手際よく調理したナスの煮浸しと、これから焼くサケは翌日の朝食用だ。「いつものように、おいしい」。利用者の一人は箸を動かしながら、「(バレンシアさんは)話を聞いてくれるのがうまいよ。楽しい時間」とにっこり。もう一人の女性も「年が近いから話しやすい」と笑顔をみせた。

通訳や家事、弟の世話

 フィリピン出身の母は1987年ごろに初めて来日し、日本とフィリピンを行き来した。バレンシアさんもフィリピンで生まれ、生後半年で来日。以来、川崎市で暮らしている。フィリピン出身の実父の記憶はない。幼いころは、母と日本人男性との間に生まれた兄らも一緒に暮らしていたため、家庭での会話は日本語だった。

 小学4年の時に、母が子宮がんと診断された。このころ、同居していたのは母、17歳年上の姉、2歳年下の弟、弟と同学年の姉の息子。タガログ語が主言語の母と姉は、日本語は話せても読み書きが不得手で、学校の書類を読んで説明したり、提出書類を書いたりするのはバレンシアさんの役目だった。弟が学校を休めば、連絡帳には「お休みさせていただきます」と友達の親のまねをして書いた。

 ほどなく母は入院し、姉と2人で家事を担うことになった。朝は6時台に起き、パンや目玉焼きを作って朝食を準備。弟たちを起こして食べさせ、洗濯物を干して学校へ。下校すると宿題を済ませ、スーパーに買い出しに行き夕食を作る。仕事から帰った姉が夕食を担当してくれることも多かったが、これらを一人でこなさなければならない日もあった。

 「昔から食器を洗ったり、ご飯を炊いたりと母の手伝いをしていたので、その延長線。周りの子とはちょっと違うことをしているだけで、さみしいとかつらいとかはあまり思わなかったです」。家族の世話や家事を始めたころは、さほど違和感はなかったと振り返る。だが、世話が日常化する中で次第に疲労はたまっていった。周りの人から「いつも偉いね」と褒められてうれしい半面、「私しかいない」という重圧感も増していった。

「我慢すれば何とかなる。大丈夫」

 入院中の母は「ごめんね」と言ってくれた。…

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