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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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長崎で被爆 華僑女性「戦争は国籍問わず不幸」 語り始めた体験

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被爆した福建会館で当時を振り返る長崎市出身の華僑の大原賢子さん=同市で2021年8月9日午前11時15分、矢頭智剛撮影
被爆した福建会館で当時を振り返る長崎市出身の華僑の大原賢子さん=同市で2021年8月9日午前11時15分、矢頭智剛撮影

 「あの日」を体験した人が年々減りゆく中、被爆者らは同じ惨禍を繰り返すまいと痛ましい記憶の扉を開け、次世代に語りかける。

 「原爆は日本人だけでなく、世界の全ての人の悲劇であることを忘れないで」。長崎市新地町の中華街で生まれ育った華僑、大原賢子(よしこ)さん(87)は原爆投下の直後、血まみれの人たちが次々に担ぎ込まれた中華街近くの「福建会館」で76年前を振り返った。約7万4000人が命を奪われた長崎原爆。その中には長崎で暮らす華僑も含まれていた。

 戦後、日本国籍を取得するまでの名は陳蘭英(ちんらんえい)。中国福建省出身の祖父・陳昌岱(ちんしょうだい)さんは妻子を伴って戦前に来日し、中華菓子店を営んでいた。

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【広島・長崎原爆】

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