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問う’21夏 宣言下の終戦の日 人命を最優先する社会に

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 新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言が東京や大阪など6都府県に発令される中、76回目の終戦の日を迎えた。

 コロナ前に例年6000人程度が出席していた政府主催の全国戦没者追悼式は参列者が過去最少の約200人となる見通しだ。式典自体を取りやめた自治体もある。

 死者を悼み、平和を願う取り組みにコロナ禍が影を落とす。戦争体験者や遺族らの高齢化が進む一方、戦争の実相を伝える各地の資料館は入館者が減っている。

 人々は外出や会食の自粛を求められ、飲食店は時短営業で苦境に直面し、社会に閉塞(へいそく)感が広がる。

 時代や状況が異なる出来事を対比することには慎重でなければならない。それでも、コロナ下の暮らしが戦中の日々を想起させる。

続く国民へのしわ寄せ

 戦時中、人々は国家権力に翻弄(ほんろう)された。召集令状1枚で戦場に駆り出され、勤労奉仕や配給制の下で耐乏生活を強いられた。

 東京都江東区にある「東京大空襲・戦災資料センター」には灯火管制下の部屋の模型が展示されている。1945年3月10日、12歳で空襲に遭った前館長の小説家、早乙女勝元さんは「コロナ下の今は少年時代と似てきた」と語る。

 空襲当日の大本営発表のラジオ放送を忘れられない。「都内各所に火災を生じたるも、宮内省主馬(しゅめ)寮は2時35分、その他は8時ごろまでに鎮火せり」――。「100万人の罹災(りさい)者と10万人の死者は『その他』で片づけられた」

 民間人軽視の姿勢は戦後に引き継がれた。

 旧西ドイツは戦争犠牲者援護法を定めて市民にも救済の手を差し伸べたが、日本では元軍人・軍属とその遺族への補償が優先され、民間人の被害救済は長らく置き去りにされてきた。

 立ちはだかったのは、非常時に生じた生命、身体、財産の損害は国民がひとしく耐え忍ばなければならない――とする「戦争被害受忍論」である。

 戦後処理問題に取り組む「シベリア抑留者支援センター」代表世話人の有光健さんは「国には、犠牲を強いられてきた国民へのリスペクトがない」と指摘する。

 空襲被害者については昨秋、救済法案がまとめられたが、与党内の調整がつかず、国会提出が見送られている。原爆投下直後に降った「黒い雨」を浴びた住民の救済問題も残されている。

 国民がしわ寄せを受ける構図はコロナ禍でも変わらない。事業者に対する協力金や生活困窮者への支援金の給付は遅れた。医療体制は逼迫(ひっぱく)し、入院できずに自宅で息を引き取るケースが相次ぐ。

 先の大戦では、過去の成功体験にとらわれた軍部の楽観的見通しが惨禍を招いた。当時、重要な作戦が失敗した場合の対応は十分に想定されていなかった。

 旧日本軍の欠陥を分析した研究書「失敗の本質」は、日露戦争に勝った軍部が時代遅れの戦術に固執し、変化への適応能力を失っていた様子を浮き彫りにしている。

 共著者の一人、戸部良一・防衛大名誉教授は「戦後日本も復興から高度成長、経済大国化へと経済優先で歩み続け、非常時にリスクとどう向き合うかを考えてこなかった」と警鐘を鳴らす。

平和を支える国会の力

 リスクを直視し、人命と平和を守る政治が求められている。重要な役割を果たすのは、国民の代表で構成される立法府だ。

 哲学者のカントは「永遠平和のために」の中で、立法権が行政権から分離された政治体制こそが平和を実現し得ると説いた。いわば「強い議会のすすめ」である。

 「国民は戦争のあらゆる苦難を背負い込むのを覚悟しなければならず、割の合わない賭け事を始めることに慎重になる」と、戦争を忌避する国民の性向を指摘した。

 議会と政府の境界があいまいになって戦争に突き進んだ過去を省みる必要がある。ナチス・ドイツではヒトラーが議会から立法権を奪い、日本では国家総動員体制下、帝国議会の形骸化が進んだ。

 懸念されるのは「政治主導」の名の下に統治機構のバランスが崩れた日本の現状である。官邸の権限が強化され、「国権の最高機関」である国会は空洞化が進み、政府の下請け機関に甘んじている。

 秋までに総選挙がある。コロナ下の今こそ、人命を最優先する社会の実現が必要とされている。政治における国会の力を取り戻すことがその出発点になるはずだ。

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