写真で見る戦後 九州・山口の軌跡 敗戦のつらさ、目の当たりに 満蒙開拓青少年義勇軍に参加 /福岡

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷
「青少年義勇軍小隊編成拓植訓練 於須恵校」と題した1940年のアルバムの記念写真。「粕屋郡教育會主催」とあり、現在の福岡県須恵町にも青少年義勇軍の訓練施設があったとみられる=相川恭子さん提供
「青少年義勇軍小隊編成拓植訓練 於須恵校」と題した1940年のアルバムの記念写真。「粕屋郡教育會主催」とあり、現在の福岡県須恵町にも青少年義勇軍の訓練施設があったとみられる=相川恭子さん提供

 中国東北部に1932年、樹立された日本のかいらい国家「満州国」には終戦までに約27万人の開拓移民が日本から送られた。日中戦争が始まると成人男性が戦場に取られ、開拓移民の確保が難しくなった。そこで十代の満蒙開拓青少年義勇軍を募り、満州国に送り出した。今回は茨城県や福岡県にあった訓練施設、旧満州の開拓団の写真を集めるとともに、実際に青少年義勇軍として参加した福岡県の男性の話を聞きながら、義勇軍の実態に迫る。【松田幸三】

 「学校で青少年義勇軍を募集しており、満州がどんなところか見てみたかった」。福岡県福津市の中尾一晴さん(92)は振り返る。旧八幡市(現北九州市)の国民学校に通っていたが14歳の時、父親の反対を振り切って参加を決めた。

この記事は有料記事です。

残り1138文字(全文1456文字)

あわせて読みたい

注目の特集