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沖縄「復帰50年」の群像

沖縄が日本本土に復帰して2022年5月で50年。本土とは異なった戦後史を刻んでいる沖縄の「いま」を考えます。

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沖縄「復帰50年」の群像

戦争は遠い過去ではない、身近にある 佐喜眞美術館・上間かな恵さん

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「沖縄戦の図」の前で丸木夫妻の制作意図を語る上間かな恵さん=沖縄県宜野湾市の佐喜眞美術館で8月11日、嬉野京子さん撮影
「沖縄戦の図」の前で丸木夫妻の制作意図を語る上間かな恵さん=沖縄県宜野湾市の佐喜眞美術館で8月11日、嬉野京子さん撮影

 沖縄県宜野湾市の佐喜眞美術館は、米軍普天間飛行場に接収されていた土地の軍用地主だった館長の佐喜眞道夫さん(75)が取り戻してできた。学芸員の上間かな恵さん(55)はこの立地の中で、常設展示されている丸木位里・俊夫妻の共同作品「沖縄戦の図」の意味を解き明かし、沖縄戦の記憶を継承する。そのまなざしを追う。

無理解の意識、なぜ生じる?

 1994年11月23日、佐喜眞美術館は開館した。開館25年の一昨年、累計来館者は100万人を超えた。軍用地の一部だった1801平方メートルの空間に美術館ができなければ、これほど多くの人が美術館の屋上から足元に広がる普天間飛行場を見渡すこともなかったであろう。

 展示のメインとなる「沖縄戦の図」は、丸木夫妻が沖縄戦体験者からじかに証言を聴き、膨大な資料を読み込んで縦4メートル、横8・5メートルの巨大なキャンバスに、日本軍による住民虐殺、集団自決(強制集団死)など住民犠牲の諸相を描いた。「軍隊は住民を守らなかった」という記憶が集まった作品である。

 来館者は修学旅行生を中心に本土からが7割を占める。20年近く通い続けた北海道の高校教諭もいるほどで、コアな支援者が増えた。

 ただ、無理解な人もいる。かなり前のことだが、30歳代の男性がこんな「感想」を口にしたのを、上間さんは忘れていない。「そんなに日本が嫌いなら、米国のままでよかったのに」

 美術館の立地に関連し、沖縄に基地が集中していることについて意見を述べる人もいる。「地政学上、沖縄に基地を置…

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