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没後400年 織田有楽斎/上 しぶとく、乱世を生き抜く=天理大准教授・天野忠幸

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織田有楽斎が復興した正伝院の歴史を継ぐ正伝永源院に伝わる有楽斎の像。戦乱の世を生きたその面影を伝える=京都市東山区で、花澤茂人撮影
織田有楽斎が復興した正伝院の歴史を継ぐ正伝永源院に伝わる有楽斎の像。戦乱の世を生きたその面影を伝える=京都市東山区で、花澤茂人撮影

 東京を代表するオフィス街・繁華街の一つとして知られる有楽町の由来は、織田長益(ながます)(有楽斎(うらくさい))の屋敷があったためとされる。実際は有楽斎が江戸に住んだことはないのだが。

 有楽斎は天文16(1547)年に織田信秀の十男か十一男として生まれた。織田信長の13歳年下の弟にあたり、現在は茶人として周知されている。武将としてのイメージは「逃げ上手」や「処世術に長(た)けた」など、芳しくない。

 若い時期の活動は不明な点が多いが、京都馬揃(うまぞろえ)(軍事パレード)や武田攻めに参加している。本能寺の変では、信長の嫡男信忠に切腹を勧める一方で、自分は逃げ延びたと非難されたという。しかし、それらの史料は世が泰平(たいへい)になった後世のもので、同時代に有楽斎の行動を咎(とが)めたものはない。信忠に切腹を勧めたかどうかも不明で、逃げ延びた者も多い。戦国武将にとって潔い死など何の意味もなく、再…

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