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パラリンピックあす開幕 共生社会の姿映す大会に

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 東京パラリンピックがあす幕を開ける。障害のある人たちのスポーツの祭典は、オリンピックと同様、新型コロナウイルスの感染拡大による1年延期を経て、原則無観客で開催される。

 デルタ株の影響で五輪期間中よりも感染状況は悪化し、医療体制は逼迫(ひっぱく)している。教育的意義から計画された学校単位での観戦もキャンセルが相次ぐ。

 選手たちは、大会組織委員会などが策定した「プレーブック」に基づき、外部との接触を遮断する「バブル方式」の環境に置かれ、ウイルス検査を連日受ける。

 選手村に入る選手や関係者のうち約9割がワクチンを接種済みというが、感染すれば、障害や疾患の影響で重症化のリスクがある。

感染対策に不安が残る

 五輪開催時を見ても、バブル方式だけでは感染対策に不安が残る。主催者は地域医療に過度の負担をかけずに、選手たちの命と安全を守らなければならない。

 コロナ下の不自由な環境で選手たちは1年を過ごしてきた。国際大会の多くも中止となった。

 パラ競技は障害の種類や程度に応じたグループごとに行われる。そのための「クラス分け」が国際大会の中止で実施できず、今大会直前まで判定を受けられなかった選手も少なくない。

 厳しい状況下での開催となるが、こんな時に行うからこそ、改めて大会の意義が問われる。

 大会の原点は第二次世界大戦直後の1948年、英ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で開かれたアーチェリー競技会にある。戦争で脊髄(せきずい)を損傷した兵士たちの社会復帰を支えることが目的だった。

 発案したルートビヒ・グトマン医師は、この競技会を国際的な総合大会へと発展させた。60年、五輪開催地のローマで行われた大会が、のちにパラリンピックの第1回大会と位置付けられた。

 東京では64年大会に続き、今回が2度目の開催となる。57年前はグトマン医師の影響を受けた大分県の整形外科医、中村裕氏の尽力で開催が実現した。これが日本のパラリンピックの源流だ。

 しかし、当時は五輪ほど注目されなかった。国民の関心が高まったのは、98年長野冬季大会の頃からだろう。

 2000年のシドニー大会時には「五輪開催国は、終了後にパラリンピックを開催しなければならない」との合意が結ばれた。その後は組織委も一体化されている。

 国内でも、障害者スポーツを推進する機運が高まった。11年施行のスポーツ基本法では「障害者が自主的かつ積極的にスポーツを行う」ことが明記され、社会の配慮が求められた。

 厚生労働省の管轄だった障害者スポーツは、14年度から文部科学省に移管された。翌年にはスポーツ庁が発足し、健常者のスポーツとともに競技環境の整備や選手強化が進められている。

個性を尊重し合いたい

 負傷兵のリハビリとして始まった競技会は今や世界のトップを競い合う大会へと成長した。それに伴い、パラリンピックが社会に果たす役割も大きくなっている。

 国際パラリンピック委員会は、大会の価値として、「勇気」「強い意志」「インスピレーション(人の心を揺さぶり、駆り立てること)」「公平」――の四つを掲げている。中でも「公平」は現代社会の重要なキーワードだ。

 多様な価値観や個性に応じた公平な機会が人々に与えられてこそ、自由に幸福を追求できる社会になる。その大切さに気づいてもらうことが、パラリンピックの役割の一つだという。

 「ミックスジュースではなく、フルーツポンチのような社会にならなければならない」。日本選手団の団長を務める河合純一さんはそう説く。競泳の視覚障害クラスで過去6大会に出場し、金メダル5個を獲得した経験を持つ。

 環境の違いや個性を混ぜ合わせて均一にするのではなく、フルーツポンチの果物のように、それぞれの「味」を尊重し合うことが共生社会には欠かせない。

 今大会には世界各国から約4400人の選手が参加する見通しだ。ボッチャやゴールボールなど、パラリンピック独自のスポーツも含め22競技が行われる。

 大会ビジョンは五輪と同じ「多様性と調和」だ。鍛え上げられたパラアスリートの熱戦を通し、共生社会のあるべき姿を考えたい。

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