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第103回全国高校野球選手権

第103回全国高校野球選手権大会(8月10~29日)の特集サイトです。

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太田幸司、松井秀喜、江川卓…夏の甲子園で記憶に残る敗者たち

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第80回大会準決勝で横浜にサヨナラ負けを喫し、グラウンドに突っ伏した明徳義塾バッテリー=阪神甲子園球場で1998年8月21日、森顕治撮影
第80回大会準決勝で横浜にサヨナラ負けを喫し、グラウンドに突っ伏した明徳義塾バッテリー=阪神甲子園球場で1998年8月21日、森顕治撮影

 熱戦が続いている全国高校野球選手権大会。既に代表49校のうち45校が甲子園を去った。日本一を目指す戦いを歓喜で締めくくれるのは1校のみ。歴史を振り返れば、試合の数だけ敗者が流した涙がある。今年で103回を数える大会で、頂点には届かなかったものの、ファンに強い印象を残したチームや選手を振り返る。

半分にちぎれぬものか……

 悲運のエースとして、まず思い浮かぶのが、1969年の第51回大会で準優勝した三沢(青森)の太田幸司だろう。東北勢初優勝の懸かった決勝は松山商・井上明と投げ合い、0-0で延長十八回引き分け。翌日の再試合も継投策を取った相手に対し、1人で投げ抜いた。4失点で涙をのんだが、計27イニングの熱戦に、当時は「半分にちぎれぬものか優勝旗」との川柳も詠まれた。端正な顔立ちとも相まって「甲子園アイドル」の先駆け的存在で、年賀状は宛名が「青森県 太田幸司様」だけで届いたとの逸話も残る。

 92年の第74回大会は「松井の5打席連続敬遠」が物議を醸した。後に米大リーグでも活躍する星稜(石川)の4番・松井秀喜は明徳義塾(高知)との2回戦で5打席すべて敬遠され、2-3で敗退。試合後、松井は「相手のやり方」などと多くを語らなかったが、明徳義塾・馬淵史郎監督の采配への賛否が野球界にとどまらない議論を巻き起こした。

 同じ星稜が箕島(和歌山)と延長十八回の大接戦を繰り…

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