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第5回全国高校eスポーツ選手権

スポーツを楽しむ高校生を応援し、文化として発展させていくことをテーマに開催される「全国高校eスポーツ選手権」の特集ページです。

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プロゲーマー夫婦が見据えるeスポーツ界の「セカンドキャリア」

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SFを練習する百地夫婦=2021年7月1日午後4時2分、杉本修作撮影 拡大
SFを練習する百地夫婦=2021年7月1日午後4時2分、杉本修作撮影

 プロリーグなどが開催され、プロ選手も徐々に増えている日本のeスポーツ界に、プロゲーマー夫婦がいる。百地祐輔(プレーヤー名・ももちさん)=35歳=と裕子(同・チョコブランカさん)=35歳=だ。祐輔はゲームメーカー・カプコンの格闘ゲーム「ストリートファイター(SF)」で世界一に輝いたトッププロで、裕子は日本初の女性プロ。夫婦はなぜ、厳しいプロの世界に身を置くことになったのか――。二人三脚で歩むゲーム人生に迫った。【杉本修作】

 祐輔は愛媛県出身。小学生の時からゲームセンターに通うなど、早くから格闘ゲームのとりこになった。一方、裕子は兵庫県出身で、本格的にゲームを始めたのは大学入学後だった。そんな2人の縁を取り持ったのもゲームだった。

eスポーツの魅力を語る百地祐輔=2021年7月1日午後3時56分、杉本修作撮影 拡大
eスポーツの魅力を語る百地祐輔=2021年7月1日午後3時56分、杉本修作撮影

 祐輔「田舎町で育ちました。小学1、2年のころ、スーパーファミコンでSFをやり始め、5年生のころに初めてゲームセンターに行きました。当時のゲーセンは不良のたまり場で、親からは絶対に行ってはいけないと言われていましたが、どうしてもゲームがやりたくて。中学生になって別のゲーセンに行くと、店長がSF好きで、店長と対戦を重ねていくうちに、SFに夢中になりました。

 高校卒業後、名古屋市で働く父親のもとに引っ越しました。田舎町より名古屋の方が就職しやすいとか、いろいろ理由はありましたが、都会なら、SFの強い人に出会えるのではないかというのが一番の動機でした。

 名古屋では、ゲームをいかにしてやるかという日々を送っていました。アルバイトで、ゲーセンのゲーム代を稼ぐみたいな。名古屋駅近くのゲーセンで、深夜までSFをやり、閉店すると、24時間営業の岐阜県のゲーセンに車で移動し、朝までゲームをやった。寝ないで2日間、ぶっ通しでゲームをしたこともありました」

 裕子「私も子どもの頃からゲームは好きだったのですが、SFをやり始めたのは、名古屋に住んでいた大学生のころですね。大学の友人にゲーマーが多く、初めてゲーセンに行ったら、はまって。その後、ゲーセンでバイトをするようになりました。

 バイト先のゲーセンで、私が企画してSFの大会を開いたのですが、そこに参加したのが、ももちでした。ももちは当時、すでにゲーマーの間で名前が知られ、名古屋で1、2を争うプレーヤーでした」

 SFのゲーム大会を通じて知り合い、2009年に交際をスタート。当時は、海外を中心に少しずつプロゲーマーが世に知られ始めた時代だった。漠然とプロへの夢を持ち始めた2人に11年、転機が訪れる。

 祐輔「国内の大会で勝って有名になってきたので、自分もプロになれるのではないかと思うようになりました。

 米国ではプロシーンが進んでいて、チョコが英語でブログを書き、自分たちのことを発信したり、海外のSFの大会に自費で出場したりしました。そうしたら、11年夏、私たちに米国のトッププロチームから声がかかった。当時、日本の選手なんていなかったので、異例だったと思います。

 プロチームと契約し、海外大会に出場する渡航費用は負担してもらえるようになりました。でも、当時の世界大会の優勝賞金は60万円程度。生活費までまかなえるわけではないので、別の仕事で働きながら活動していました」

 裕子「ももちと違って、私は、強さで言えばそれほどでもなかった。大会に女性部門があるわけでもありません。それで、米国のプロチームから声をかけてもらった時に、『私、強くないけどいいんですか』って聞いたら、『強くなくても君にしかできない活動をやってほしい』と言われた。そのころ、大会に出場するだけではなく、運営もやっていたので、広報というか、ゲームファンを増やすことが自分の仕事かなと思うようになりました」

 14年春、2人はゲームに打ち込むため、よりよい環境を求めて上京。年末、祐輔は世界大会で優勝を果たし、トッププロとしての階段を上っていく。

 祐輔「SFは大きい世界大会が二つあり、夏の『エボリューション』と冬の『カプコンカップ』です。上京した年の年末、米国で開催されたカプコンカップで初優勝しました。敗者復活戦で、一度、敗れた英国選手に勝利した試合が一番印象に残っています。大逆転の勝利で、ファンからもベストマッチと言われています。翌年夏にはエボリューションでも優勝しました。一挙に注目されるようになり、他の選手からマークされるようにもなりました」

 祐輔の世界大会優勝を機に2人は結婚。ゲームイベントの企画やプロチームの運営を手がける会社「忍ism」(東京都豊島区)を設立。これには、裕子の強い思いがあった。

eスポーツの今後について語る百地裕子=2021年7月1日午後3時55分、杉本修作撮影 拡大
eスポーツの今後について語る百地裕子=2021年7月1日午後3時55分、杉本修作撮影

 裕子「私たち夫婦は、ももちが競技をし、私が格闘ゲームを世の中に広めるという二人三脚で活動しています。ただ、このままプロとして活動していても、いつクビにされるかわからないという思いがありました。先が見えない中、私たち自身で、セカンドキャリアを作りたい思いが強くなったのが会社設立のきっかけです。また、次の世代の若いスターを育てたいとの考えもありました。

 ただ、運営は大変です。ももちの優勝賞金は一つの大会で数百万円ぐらいですが、会社を始めたころは、賞金をつぎ込んでやりくりしていました。最近、いろいろな企業さんがeスポーツに興味を持つようになり、支援もいただけるようになりました」

 近年、国内でもeスポーツ団体が発足し、プロゲーマーも輩出されるようになった。2人は今のeスポーツシーンをどう見ているのか。

 祐輔「自分はずっと負い目を感じながらゲームをやってきました。周りが大学卒業して就職しているころ、ずっとフリーターでゲーム漬けの日々を送り、いつまで続けるのかっていう思いもありました。その頃の環境に比べれば今は最高です。eスポーツという言葉も広まってきて、一般の方に認知されるようにもなりました。

 昔は、ゲームをプレーしてお金を稼ぐということは考えられませんでしたが、今は一つの選択肢として捉えられるようになってきました」

 裕子「野球とかサッカーみたいに、しっかりとしたシステムができていれば、子どもが小さなころからプロゲーマーを目指しても、周りも応援するかもしれません。でも、正直、eスポーツの世界は、まだそんなところまでは行っていないので、これから環境が整えばいいと思います」

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