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渋沢栄一を歩く

「日本資本主義の父」と呼ばれ渋沢栄一の生涯を、生まれ故郷・埼玉県深谷市を中心とした取材からたどります。

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渋沢栄一を歩く

/28 改正掛 近代社会の基盤を整備 /埼玉

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大蔵省時代の渋沢栄一=渋沢史料館所蔵、同館提供
大蔵省時代の渋沢栄一=渋沢史料館所蔵、同館提供

 大隈重信の雄弁に説得され、辞職を思いとどまった渋沢栄一は、明治新政府で新しい国づくりに尽力することを決心した。

     ◇

 「まず政府において実業の根本を確立する」という自身の目的実現のため、栄一は重要な提案をしていた。

 大隈の自宅を改めて訪ねた栄一は「自分も意を決して十分勤める覚悟はしましたが、現今目撃した有り様では過日御説(ごせつ)を承った諸般の改正は到底なし得られぬことであろうと考えます」と切り出した。省内の様子について「ただ雑沓(ざっとう)を極めるのみで、長官も属吏もその日の用に逐(お)われて、なんの考えをする間もなく一日を送っている」と指摘。「省中に新局を設けて、およそ旧制を改革せんとする事、新たに施設せんとする方法・例規等はすべてこの局の調査を経て、時のよろしきに従ってこれを実施するという順序にせられたい」と建議した。

 同じ問題意識を持っていた大隈は、大いに賛成した。明治2(1869)年11月下旬、民部省内に新しく「改正掛(がかり)」を置き、栄一が租(そ)税正(ぜいのかみ)と兼任で改正掛長に就いた。

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