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瀕死の夫救い中国に渡ったネエサンを追う 関東大震災と中国人虐殺

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震災当時に陳善慶さんが暮らしていた周辺で、住民に話を聞く林伯耀さん(右)=横浜市鶴見区で2020年10月14日午前11時26分、井田純撮影
震災当時に陳善慶さんが暮らしていた周辺で、住民に話を聞く林伯耀さん(右)=横浜市鶴見区で2020年10月14日午前11時26分、井田純撮影

 根拠のない流言によって多数の朝鮮人・中国人が虐殺された関東大震災から今年で98年。差別とデマが生んだ悲劇を語り継ぎ、考える試みが各地で続く中、神戸市在住で在日中国人2世の林伯耀さん(82)は、今年も横浜市鶴見区に足を運ぶ。「(事件から)100年の節目までに何とか新たな手がかりを」と林さんが探しているのは、震災時にこの地で暮らしていた日本人女性の足跡。自警団に殺されかけた中国人の夫を助け、後に中国にわたった女性の物語だ。

中国で親しまれた「ネエサン」だったが…

 関東大震災は10万を超える死者・行方不明者とともに、多くの虐殺による犠牲者を出した。1923年9月1日の発生からまもなく、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「混乱に乗じて放火している」などの流言が被災各地に拡大。震災を生き延びた命が、市民による自警団や軍、警察によって奪われた。

 当時の鶴見潮田町、今の鶴見区本町通4丁目に暮らしていた陳善慶さんも、犠牲になりかけた1人。10年代に中国から来日して日本人と結婚し、1男1女をもうけた。震災時、商売で生計を立てていた陳さんは、東京と鶴見の間を移動中に自警団に襲われ、両手両足を鉄の棒で殴られるなどで瀕死(ひんし)の重傷を負った。これを聞きつけた妻が、死体の山の中から陳さんを助け出したという。

 日本で暮らすことに危険を感じた一家はその後、陳さんの故郷・福建省福清市に引き揚げる。当時38歳だった陳さんは襲撃の後遺症で手足に障害を負い、満足に働けない体となっていた。陳さんを助けて帰郷した日本人の妻を、村人は親しみを込めて日本語で「ネエサン」と呼んでいた。だが、一家は次第に困窮し、戦後の47年に陳さんは自死。ネエサンも翌年に現地で亡くなった――。

 陳さん一家を巡る悲話を掘り起こしたのが、冒頭の林さんだ。林さんが一連の経緯を知ったのは2015年、父の出身地である福清市の懇親会に出席したことがきっかけだ。偶然にも陳さんと林さんの父は同郷だった。日本の中国人が経験した戦前からの苦難の歴史を長年調べている林さんが、地元紙を通じて陳さんたちの子孫を調べ、陳さんのおいにたどり着いた。

 林さん…

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