「泣きながら練習」からレジェンドへ 元監督が語る若き日の栗山巧

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味方の適時打で生還した栗山(手前)を迎え入れる西武監督時代の渡辺GM(右)=札幌ドームで2010年9月26日、木葉健二撮影
味方の適時打で生還した栗山(手前)を迎え入れる西武監督時代の渡辺GM(右)=札幌ドームで2010年9月26日、木葉健二撮影

 西武・栗山巧外野手(38)はいかにして大打者となったのか。新人時代の栗山を指導した田辺徳雄・現3軍統括コーチ(55)と、監督としてレギュラーに抜てきした渡辺久信・現ゼネラルマネジャー(GM、56歳)に当時を振り返ってもらった。

 2002年のある日。埼玉・戸田球場からの帰り道、この年、2軍打撃コーチに就任した田辺コーチは憂鬱だった。「そりゃ、もうタコった(安打が出なかった)日は大変。長くなるぞ。これはきょう絶対来るぞ。『お願いします』って」。試合後の栗山との長時間の練習が待っていたからだった。

 栗山は同年、ドラフト4巡目で入団。田辺コーチは「荒っぽさを削っていかないといけなかった。強引で力任せの上半身主体の打撃だった」と話す。栗山は人一倍負けず嫌いで、凡打でヘルメットをベンチにたたきつけて悔しがる性格。ある日、試合に出られず、ふて腐れた態度でバット引きをしていた。田辺コーチが注意すると、鋭い目線でにらみ返してきた。「あっ、殴られるんじゃないかと思った」と笑う。

 この強い気持ちを生かすことができないか。田辺コーチは…

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