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仮設住宅から分散、交流が希薄 個別の悩み、コロナで見えにくさ拍車
かつて自宅があった山あいの一角には、青々としたキュウリや真っ赤なトマトの実がなっていた。加賀谷弘子さん(78)は、夏の日差しを浴びて育った野菜を手にほほえんだ。「ここに来ると『自分の場所』だなと、ほっとするの」。胆振東部地震の発生から間もなく3年、その思いは強くなっている。
厚真町宇隆地区。ここで長年暮らし、米農家を営んでいた弘子さんと夫俊昭さん(81)は震災後、自宅跡に趣味の菜園をつくった。昨秋から車で10分弱のところにある新町地区の団地で新たな生活を始めたが、今でも時々訪れては畑作業に汗を流し、心のよりどころになっているという。
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