「5人の分まで生きたい」 紀伊半島豪雨で家族失った33歳、前へ

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仏壇に手を合わせる中平さん=和歌山県新宮市で2021年9月1日午後5時4分、木村綾撮影
仏壇に手を合わせる中平さん=和歌山県新宮市で2021年9月1日午後5時4分、木村綾撮影

 「行ってきます」「ただいま」――。中平史都(ふみと)さん(33)は毎日、5人の写真が並んだ仏壇に語りかける。紀伊半島豪雨で、最愛の家族をいっぺんに失ってから4日で10年。悲しみが癒えることはないが、今では「みんなの分まで生きたい」と思えるようになった。

 2011年8月のお盆休み。東京の会社に勤めていた中平さんは、和歌山県那智勝浦町市野々の実家で家族6人のだんらんの時を過ごしていた。東京へ戻る日、末っ子の弟は「にいちゃん、はよ帰ってきてよー」と寂しがって泣いた。その翌月、土石流が実家を襲った。

 「家が流されたらしい」。同県新宮市に住む叔母から連絡があり、「覚悟しとかなあかん」と告げられても、「どこかに避難したのかもしれない」と祈る気持ちでいた。だが間もなく、母澄子さん(当時46歳)の遺体が見つかった。列車の運行が再開するやいなや駆けつけた。

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