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沖縄「復帰50年」の群像

沖縄が日本本土に復帰して2022年5月で50年。本土とは異なった戦後史を刻んでいる沖縄の「いま」を考えます。

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沖縄「復帰50年」の群像

沖縄戦の記憶「いま」に生かす 自由な発想で問い続ける佐喜眞美術館

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軍用地を取り戻し美術館に変えた佐喜眞道夫館長=2021年8月11日、嬉野京子さん撮影
軍用地を取り戻し美術館に変えた佐喜眞道夫館長=2021年8月11日、嬉野京子さん撮影

 2004年8月13日午後。いつもは冷静な上間かな恵さん(55)が一時、パニックに襲われた。

 消防車、パトカー、救急車。あらゆる緊急車両が急に走り出し、サイレン、警報、警笛が一斉に大音響を上げた。知人から電話が入った。「普天間飛行場近くの中学校に米軍ヘリが落ちたらしいよ」

 屋上に駆け上がった。向かって左の南西方向に黒煙が立ち上っている。フェンス沿いに進めば3キロ足らずのところに大学や中学校がある。黒煙はさらに大きく、高く空を覆った。突き上げてくる恐怖で、上間さんは震えた。鳥肌が立った。こんな体験は初めてのことだ。九州に出張中の佐喜眞道夫館長(75)に電話するまでの間、記憶の一部が飛んでいる。その時、来館者がいたかどうか、はっきり思い出せない。それほどの動転だった。連絡を受けた館長も「えっ、本当か」とうめいた後、絶句した。

 墜落したのは普天間飛行場所属の大型ヘリコプターで、現場は沖縄国際大学構内だったとわかったのは、インターネットの情報が最初だった。テレビの中継映像はしばらく入らなかった。新聞の号外は、もう少し後になる。

 ニュースの発信が遅れ、混乱をもたらしたのは、米軍の「妨害」があったためだ。米軍の運用を定めた日米地位協定を根拠に、県や地元自治体も県警も現場に立ち入ることが許されず、近くまで駆け付けた緊急車両は接…

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