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「やべー」重視、刺さった自由と個性 スケボーは五輪の象徴か

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東京五輪のスケートボード男子ストリートで金メダルを獲得した堀米雄斗選手(左)と早川大輔コーチ=有明アーバンスポーツパークで2021年7月25日、大西岳彦撮影
東京五輪のスケートボード男子ストリートで金メダルを獲得した堀米雄斗選手(左)と早川大輔コーチ=有明アーバンスポーツパークで2021年7月25日、大西岳彦撮影

 東京オリンピックのスケートボード日本代表コーチの早川大輔さん(47)は大会閉幕後、「浦島太郎」になったような気分を味わった。期間中はたまにネットをチェックするくらいで、ニュースはほとんど見なかった。「社会復帰」をしてみると、世の中の景色が一変していた。

 久しぶりに近くのスケボーパークに行くと、滑れないほどの利用者でごった返していた。スケボーショップの知り合いに聞くと、子供用のデッキ(板)やプロテクターが飛ぶように売れているという。有名企業がスポンサーに名乗りを上げたという話も耳にした。

 ストリート種目で金メダルを獲得した堀米雄斗選手(22)らの活躍によって、世間では空前のブームが起きていた。「多くの人が、スケボーの魅力に気づいてくれた」。早川さんは今、変化の波を感じている。

堀米選手と二人三脚の挑戦

 東京都葛飾区で生まれ育った。中学ではサッカー部に入ったものの、「部活文化」になじめなかった。縦社会の人間関係や不合理な根性論。「もっと自分のやり方で自由に楽しみたい」。そんなことを考えていた時に出合ったのがスケボーだった。

 路上で滑る「ストリートスケーティング」には、コーチや指導者は存在しない。自分という「個」と高め合う仲間がいるだけだ。年上だろうが、年下だろうが、うまければ認められる。誰もやったことのないトリック(技)を決められれば、リスペクトを勝ち取れる。当時、スケボーに対する世間の目は冷たかったが、既存のスポーツにはない価値観に魅せられた。

 10~20代は、たびたび米国に渡って本場の空気を吸い込んだ。日本国内ではプロのライダーとして活躍した。ただ30代のころにはショップの経営がうまくいかず、多額の借金を背負った。店をたたみ、家族を養うためにトラックの運転手をしていた時期もある。

 「あの頃は苦しかった。でも、トリックに失敗しても死ぬわけじゃない。何度でもトライする。そんなスケーターのマインドで乗り切りました」

 どん底で出会ったのが、…

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