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「9.11」後の20年 米同時多発テロ20年

米同時多発テロから20年。特集記事や写真・動画で振り返ります。

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9・11後の20年 検証ザ・ロンゲスト・ウオー

サハラ砂漠で苦悩する「警察官」フランス 過激派掃討行き詰まり

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仏軍の空爆で破壊されたイスラム過激派のピックアップトラック。荷台には焼け焦げた銃が残されていた=マリ中部ディアバルで2013年1月、服部正法撮影
仏軍の空爆で破壊されたイスラム過激派のピックアップトラック。荷台には焼け焦げた銃が残されていた=マリ中部ディアバルで2013年1月、服部正法撮影

 西アフリカ・マリ北部のサハラ砂漠の町、トンブクトゥ。広場に集められた住民の前に、一人の窃盗容疑者が連れてこられた。連行したのは町を占領するイスラム過激派戦闘員。容疑者は住民の目の前で手を切り落とされ、傍らの油が煮立った鍋に腕の切断部分を突っ込まれた。傷口を止血するための処置という。広場に響く容疑者のうめき声。住民は残酷な「公開刑罰」を見ることを強要され、「行かないとたたかれた」。住民男性のインタカナさんは2015年10月、恐怖の体験を記者(服部)に証言した。

 かつてイスラム研究の一大学術都市として栄え、世界遺産にも登録されたトンブクトゥは、欧州人を引きつける観光地だ。だが、12年4月、すべてが変わった。国際テロ組織アルカイダと連携するイスラム過激派が町を制圧し、過酷な支配を始めた。すべての娯楽は禁じられ、携帯電話でこっそり音楽を聴いていた若者は殴打された。地元のイスラム指導者の墓は、偶像崇拝に当たるとして破壊された。

 「9・11」を起点とした「テロとの戦い」の中、テロリストの温床となる「アフガニスタン化」(当時のルドリアン仏国防相=現外相)が懸念されたのが、マリだった。サハラ砂漠に潜伏していた過激派は当時、フランスの面積にも匹敵する広大なマリ北部を支配下に置いた。

 事態は13年1月、過激派が首都バマコのある南部に向け進軍し、中部の町を制圧したことで動いた。マリ政府は旧宗主国フランスに軍事支援を要請。「過激派の南進を食い止めるため」(当時のファビウス仏外相)仏軍が介入した。

 介入開始直後、記者はマリに入ったが、バマコでは、過激派の侵攻を阻止した仏軍を歓迎する「ビブ・ラ・フランス(フランス万歳)!」という市民の声があふれ、仏国旗がはためいていた。

 仏軍はマリ政府軍などと協力し、過激派が一度は制圧した中・北部の町を次々奪回。トンブクトゥも仏軍と政府軍が奪い返した。記者は奪回直後の中部の町で、過激派の使用していた建物や車両を、夜間にピンポイントで破壊した仏軍の正確な攻撃の跡を目の当たりにし、過激派との能力差に驚かされた。

 しかし、それでも過激派…

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