サハラ砂漠で苦悩する「警察官」フランス 過激派掃討行き詰まり
- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷

西アフリカ・マリ北部のサハラ砂漠の町、トンブクトゥ。広場に集められた住民の前に、一人の窃盗容疑者が連れてこられた。連行したのは町を占領するイスラム過激派戦闘員。容疑者は住民の目の前で手を切り落とされ、傍らの油が煮立った鍋に腕の切断部分を突っ込まれた。傷口を止血するための処置という。広場に響く容疑者のうめき声。住民は残酷な「公開刑罰」を見ることを強要され、「行かないとたたかれた」。住民男性のインタカナさんは2015年10月、恐怖の体験を記者(服部)に証言した。
かつてイスラム研究の一大学術都市として栄え、世界遺産にも登録されたトンブクトゥは、欧州人を引きつける観光地だ。だが、12年4月、すべてが変わった。国際テロ組織アルカイダと連携するイスラム過激派が町を制圧し、過酷な支配を始めた。すべての娯楽は禁じられ、携帯電話でこっそり音楽を聴いていた若者は殴打された。地元のイスラム指導者の墓は、偶像崇拝に当たるとして破壊された。
「9・11」を起点とした「テロとの戦い」の中、テロリストの温床となる「アフガニスタン化」(当時のルドリアン仏国防相=現外相)が懸念されたのが、マリだった。サハラ砂漠に潜伏していた過激派は当時、フランスの面積にも匹敵する広大なマリ北部を支配下に置いた。
事態は13年1月、過激派が首都バマコのある南部に向け進軍し、中部の町を制圧したことで動いた。マリ政府は旧宗主国フランスに軍事支援を要請。「過激派の南進を食い止めるため」(当時のファビウス仏外相)仏軍が介入した。
介入開始直後、記者はマリに入ったが、バマコでは、過激派の侵攻を阻止した仏軍を歓迎する「ビブ・ラ・フランス(フランス万歳)!」という市民の声があふれ、仏国旗がはためいていた。
仏軍はマリ政府軍などと協力し、過激派が一度は制圧した中・北部の町を次々奪回。トンブクトゥも仏軍と政府軍が奪い返した。記者は奪回直後の中部の町で、過激派の使用していた建物や車両を、夜間にピンポイントで破壊した仏軍の正確な攻撃の跡を目の当たりにし、過激派との能力差に驚かされた。
しかし、それでも過激派…
この記事は有料記事です。
残り2397文字(全文3281文字)
時系列で見る
-
米国とイラン対立の最前線のイラク 軍事・政治面で変化の兆し
473日前深掘り -
増える同時多発テロ後世代 教師は「歴史」をどう教え、伝えるか
501日前 -
サハラ砂漠で苦悩する「警察官」フランス 過激派掃討行き詰まり
502日前深掘り -
過熱したイスラム恐怖症 消えた「グラウンド・ゼロ・モスク」構想
504日前 -
崩落現場で息子を捜し続けた父 テロの歴史を風化させない誓い
505日前動画あり -
アフガンで味わった心の痛み 牧師に転じた退役軍人の人生
511日前動画あり -
女性の権利、言論の自由は…時計の針逆戻り懸念 漂う徒労感/6
513日前深掘り -
米、軍撤収でも遠隔対応に自信 情報収集力低下懸念も/5
514日前深掘り -
タリバン復権の衝撃 国際空港、見えぬ再開 米軍撤収、管制システム停止 退避希望者、陸路目指す
515日前 -
繰り返された誤爆、民間人の犠牲5万人 今も抱く米への怒り/4
515日前深掘り -
タリバン復権の衝撃 バイデン氏、早期撤収固執 拙速批判拡大、政権運営に陰り
516日前 -
育たなかった国民意識 政府軍の士気低く/3
516日前深掘り -
タリバン復権の衝撃 「麻薬ゼロ」実現に疑問符 アフガン支援停止、資金難必至
517日前 -
リーダー人材枯渇 課題となった民族バランス/2
517日前 -
頓挫したアフガン民主化 火種となった北部同盟のカブール制圧/1
518日前 -
9・11 目の前で同僚が死んだ 奇跡の救出を語り続ける元警官
518日前動画あり -
タリバン復権の衝撃 過激派の拠点化懸念 IS、混乱突き勢力伸長
519日前 -
タリバン復権の衝撃 難民危機再来を欧州懸念 排他主義刺激、右派政党台頭……受け入れ消極的
520日前 -
タリバン復権の衝撃 欧州、米軍撤収非難 独自行動は困難、苦渋の追随
521日前