旧満州引き揚げ なぜ中国人画家は「加害者」を描いたのか

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作品「一九四六」=仙台市青葉区の宮城県美術館で2019年10月、井上卓弥撮影
作品「一九四六」=仙台市青葉区の宮城県美術館で2019年10月、井上卓弥撮影

 日本が戦前、現在の中国東北部に樹立した「満州国」には約27万人の開拓団員が送り込まれ、敗戦による引き揚げは悲惨を極めた。中国侵略の始まりである満州事変から18日で90年。中国人画家が命からがら日本を目指す人々を描いた縦3メートル、横20メートルの大作「一九四六」が今秋、高知市で展示される。企画を進めたのは、自身も引き揚げを体験した91歳の女性。「この絵の中に私もいた。自分がどこかに描かれていないか探した。被害者である中国の画家がなぜこの絵を描いたのか」と問いかける。

王希奇さん制作「一九四六」(部分)=仙台市青葉区の宮城県美術館で2019年10月2日、井上卓弥撮影 拡大
王希奇さん制作「一九四六」(部分)=仙台市青葉区の宮城県美術館で2019年10月2日、井上卓弥撮影

 「一九四六」の作者は、魯迅美術学院(遼寧省瀋陽市)の王希奇(ワン・シーチー)教授(61)。日本への引き揚げ拠点となった同省・葫蘆島(ころとう)の岸壁で、やつれきった人々が最低限の荷物を持ち、黙々と歩く姿が描かれる。灰褐色の暗い色調だが、遺骨が入ったつぼを抱えた少年はこちら側をしっかりと見つめる。

王希奇さん=2011年12月9日午後2時40分、内田達也撮影 拡大
王希奇さん=2011年12月9日午後2時40分、内田達也撮影

 1945年8月の日本敗戦後、難民状態で冬を越した残留日本人が葫蘆島に集められ、帰還事業で約105万人が故国へ送られた。王さんは祖父から話を聞き、着の身着のままの子どもたちが写った当時の写真に衝撃を受けて作品制作を決意。墨絵と油絵を融合する独自の画風で、構想から10年半かけて2015年に完成させた。王さんはオンライン取材に「戦争ほど愚かな行為はない。あの戦争で日本人は加害者でありながら被害者。引き揚げの史実を絵にして後世に伝え、平和の尊さを知ってほしかった」と振り返る。

大作「一九四六」、高知市で展示へ

「一九四六」のチラシを手にする崎山ひろみさん=高知市で2021年7月7日午前10時57分、井上大作撮影 拡大
「一九四六」のチラシを手にする崎山ひろみさん=高知市で2021年7月7日午前10時57分、井上大作撮影

 「一九四六」は17~19年に東京、舞鶴(京都府)、仙台で展示された。高知展開催の原動力は、16歳で旧満州から引き揚げた崎山ひろみさん(91)=高知市=の熱意だった。戦争体験の語り部を続けていたが、知人を通して作品の存在を知った。仙台展の主催者に連絡を取ると、高知でも開催を勧められ、大学教授や元教員らとともに実行委を結成した。

 崎山さんは満州生まれ。5人家族で不自由なく暮らしていたが、戦況が厳しくなると物資は不足し、風船爆弾に使う和紙を張り合わせる作業にも駆り出された。敗戦の日から避難生活が始まり、男性の格好をして家財を売った。屋根のない石炭運搬列車に乗り、たどり着いたのが葫蘆島だった。崎山さんは「日本人の引き揚げ者は悲惨だった。でも日本には加害の話もたくさんある。王さんが描きたかったのは、民族や国を超えて、戦争を起こしてはいけないという気持ちではないでしょうか」と語る。

 王さんは「当時を知る人も、戦争を全く知らない世代も作品を見てほしい」と呼び掛け、「新型コロナウイルスで人的交流はほとんど中断されているが、作品が伝える国際平和への願いと芸術の力を人々の心に届けたい」と訴えた。

 展示は11月28日~12月5日に「高知市文化プラザかるぽーと」。問い合わせは高知展実行委の小野さん(088・872・0540)。【井上大作】

絵が伝える戦争 体験伝承で重要な役割

逃避行の中、青酸カリを飲んで自決した老人を見届ける女性=田辺末隆さん「戦争が生んだ狂気」から 拡大
逃避行の中、青酸カリを飲んで自決した老人を見届ける女性=田辺末隆さん「戦争が生んだ狂気」から

 満蒙開拓団の一員として高知県旧十川(とおかわ)村(現四万十町)から19歳で満州に渡った田辺末隆(すえたか)さん(故人)が描いた27枚の絵が、同町の施設に保管されている。民間施設「平和資料館・草の家」(高知市)が今夏に展示し、反響を呼んだ。戦争体験者が数少なくなる中、引き揚げの実相を伝える貴重な資料だ。

列から取り残された目の見えない老人や裸の子ども=田辺末隆さん「戦争が生んだ狂気」から 拡大
列から取り残された目の見えない老人や裸の子ども=田辺末隆さん「戦争が生んだ狂気」から

 高知県満州開拓史などによると、同県からは1万482人の開拓団が送り込まれた。人口比では全国3位の多さで、困窮した農村部を抱えていた背景がある。田辺さんが所属した十川万山開拓団では547人が大陸に渡り、6割以上の361人が亡くなった。

 田辺さんは帰国後に体験を「戦争が生んだ狂気」と題して絵に残した。食べ物が不足した暮らし、旧ソ連軍の侵攻、収容所での作業風景などを色鉛筆で淡々と描いた。敗戦後の逃避行は目を覆うばかりの惨状だ。自決用の青酸カリを手渡された老人、隊列から遅れてしまう子どもたち、列車から捨てられる遺体――。「今も脳裏からはなれない 現世には考えられない事」「戦争の悲劇は弱農民に集中している」。添えられた文章に怒りと諦観が読み取れる。

 企画展は、日本の戦争責任や核の問題と向き合ってきた元小学校教員の橋田早苗さん(68)=高知県香南市=がとりまとめた。橋田さんは訴える。「私たちの世代は戦争を体験した人から話を聞くことができたが、もう直接経験した人はほとんどいない。資料や文献などを通してでも次の世代に伝えていかなければいけない」【井上大作】

満州事変

 旧日本軍(関東軍)が1931年9月18日、中国・奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で起こした鉄道爆破事件を発端とし、中国東北部を占領した軍事侵攻。日本は32年にかいらい国家「満州国」を建て、33年には国際連盟を脱退。37年の日中戦争、41年の日米開戦に突入した。旧満州には国策で全国の農村から「満蒙開拓団」が送り込まれた。45年8月のソ連参戦、敗戦で多数の非戦闘員が取り残されて集団自決も発生。戦後の残留婦人、残留孤児問題を生んだ。

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