上を向いて…日本初の大リーガー・村上雅則さんが語る初マウンド
- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷

東京オリンピック開幕を目前に控えた1964年9月。日本選手初のメジャーリーガーが誕生した。米サンフランシスコの大リーグ・ジャイアンツの左腕、村上雅則投手(77)だ。同年春、プロ野球・南海(現ソフトバンク)から「野球留学」として米国に派遣され、ジャイアンツ傘下のマイナーチーム(1A)で救援投手を務めていた当時20歳の若武者だった。初めてメジャーに昇格すると、9月29日に日本選手初勝利を挙げた。
64年8月のある日、村上はロッカールームで主力3選手の立ち話を耳にした。渡米から5カ月、もう英語でコミュニケーションは取れる。「何の話?」と輪に入ると、そのうちの一人が言った。「そうだ、お前もあるかもな」。9月からの選手登録枠拡大に伴うメジャー昇格のことだった。村上にとっては2Aも3Aも飛び越したメジャーは雲の上の存在で考えたこともなかったが、予想は当たり、昇格が決まって慌ただしく荷物をまとめた。
村上は9月1日にチームに合流。対戦相手・メッツの本拠地、ニューヨークのシェイ・スタジアム(当時)に足を踏み入れた。初登板はすぐに訪れた。「八回、点が入らなかったら、マッシー(村上)が行くぞ」と声がかかった。「前日までは30ワットの電気の下でナイトゲームをやっている感じだったのに、それがいきなりカクテル光線の中、4万人の観客。『あがらなければいいけれど……』と思った」。八回裏、「スキヤキソング」として米国でも人気だった坂本九さんの「上を向いて歩こう」を口ずさみながらマウンドに向かった。
捕手と簡単にサインを打ち合わせた。「おまえは何を投げるんだ、と言うから、『ファストボール、…
この記事は有料記事です。
残り1360文字(全文2050文字)