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山形の老舗料亭「千歳館」営業休止 コロナ禍でも将来への希望失わず

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歴史を感じさせるたたずまいをみせる千歳館の正面玄関=山形市で2021年9月2日、横田信行撮影 拡大
歴史を感じさせるたたずまいをみせる千歳館の正面玄関=山形市で2021年9月2日、横田信行撮影

 新型コロナウイルスの感染拡大が山形県内の飲食・観光業に深刻な打撃を与える中、山形の料亭文化の象徴だった創業145年の老舗「千歳館」(山形市)が今月末で当分の間、営業を休止する。往時を知る4代目当主の沢渡和郎(かずお)さん(78)に、さまざまな社会情勢の変化を乗り越えてきた激動の歴史を振り返ってもらい、コロナ禍での利用客減による苦渋の決断や復興に尽力してきた県内の花柳界への思いを聞いた。【横田信行】

千歳館への思いを語る沢渡和郎さん=山形市で2021年9月2日、横田信行撮影 拡大
千歳館への思いを語る沢渡和郎さん=山形市で2021年9月2日、横田信行撮影

 官公庁が集まり、県内最大の繁華街として発展してきた同市七日町周辺。中でも、花小路は多くの飲食店が集まり、中心的存在だった千歳館も連日、宴席でにぎわい、各界の社交の場になっていた。だが、長引く不況に2020年春以降はコロナ禍が追い打ちをかけ、今は見る影もない。

 沢渡さんは「かつては酔った人同士の肩と肩がぶつかり合うにぎわいで、毎晩、近所でけんかがあったんですよ」と、1971年に社長を継いだ当時を懐かしむ。

 街の大きな転機は75年の県庁移転。山形駅の再開発と相まって人の流れが激変。沢渡さんは、何とか年々減っていく客を呼び戻そうと、周辺の飲食店などと祭りやはしご酒大会などを開催。市議、県議としても中心市街地の活性化に尽力してきたが、苦戦が続いた。そこにダメを押したのがコロナ禍だった。「ぴたっと客足が止まり、それが1年半続いている。仕出しやいろいろやったが、大箱の宴会屋のウチには大打撃だった」

 窮状を実感しつつも、代々守ってきた料亭を続けるつもりだった沢渡さんだが、経営を託した社長を務める長男の章さんが今夏、休業を切り出した。「経営体力を温存し、次の動きに備えたい」という前向きの提案に「コロナばかりはどうしようもない。そういう手もあるな」と受け入れた。

 気がかりもある。自らが取り組んできた花柳界の再興だ。1930年代には100人を超える芸妓(げいぎ)が県内にいて、料亭文化に華を添えていた。沢渡さんは、経済界の協力を取り付け、96年には「やまがた舞子」として、お座敷遊びという郷土文化の継承と担い手の育成に道筋をつけた。それだけに「花柳界の灯は消しちゃいけない」と思い入れは強い。料亭を舞台にした山形ならではのもてなしの文化を守れば、復活に役立つとの思いもにじむ。

 「コロナが収束し、経済が再生されれば、道は開ける。海外に活路を見いだすことだって可能。先人もいろいろなことを乗り越えてきた。今度も乗り越えられるはずだ」

 休業後の具体的な計画は未定だが、建物は国の登録有形文化財だけに行政の関心も高い。先代当主は、無念さの中にも将来への希望を失っていない。

千歳館

 魚問屋の初代・沢渡吉兵衛が1876(明治9)年に始めた料亭が前身。当時の知事から「千歳(せんざい)まで続くように」という意味を込めて「千歳館」の名を授かったという。現在地に今の建物が建てられたのは、1915年。それまでに移転や11年の大火での焼失も経験した。戦前の2大政党、政友会と民政党の政治活動の舞台にもなり、政友会の原敬が訪れた記録が残る。主屋と客室「ちとせ」と「つる」が2002年に国の登録有形文化財(建造物)になった。主屋は木造2階建てで、西側が洋風で庭園に面し、東側が和風という特徴的な造り。

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