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習志野原今昔物語

習志野原とその周辺の歴史と今、「今昔物語」を、千葉県習志野市文化財審議会会長の山岸良二氏とともに紹介していきます。

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習志野原今昔物語

/11止 空襲被害受けず終戦 旅団跡に教育施設 「軍郷」、輝く「学都」に /千葉

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習志野騎兵旅団司令部の跡地にある八幡公園には、正門だった赤レンガの門柱が残る=千葉県習志野市大久保で2021年6月9日、小林多美子撮影
習志野騎兵旅団司令部の跡地にある八幡公園には、正門だった赤レンガの門柱が残る=千葉県習志野市大久保で2021年6月9日、小林多美子撮影

 太平洋戦争の敗色が濃くなると、首都圏はB29を中心とする米軍の空襲にさらされるようになった。千葉市内では1945年6月10日、軍需工場の「日立航空機千葉工場」(現在の千葉市中央区)を中心に被災、7月7日には市街全域が大空襲を受けた。一方で、習志野原の騎兵旅団が置かれていた地区は東京ドーム8個分という広大な面積に軍事施設があったにも関わらず、空襲を受けることなく終戦を迎えた。連載最終回では、「軍郷」習志野原の戦後の変貌を紹介する。

 騎兵旅団が置かれていた現在の船橋市三山から習志野市泉町にかけての地域は、終戦時には西から陸軍の習志野衛戍(えいじゅ)病院、戦車連隊、習志野学校が並び、いずれもほぼ無傷で残った。毒ガスなど化学兵器を研究していた習志野学校では終戦直前、機密書類を焼却する炎を関係者が目撃している。学校で製造されていた毒ガス類の処分を巡り、戦後「現地で処分された」「海中に廃棄された」「日本軍、もしくは米軍が持ち去った」…

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