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渋沢栄一を歩く

「日本資本主義の父」と呼ばれ渋沢栄一の生涯を、生まれ故郷・埼玉県深谷市を中心とした取材からたどります。

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渋沢栄一を歩く

/30 短期集中の製糸場建設 尾高惇忠と仲間奮闘 /埼玉

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富岡製糸場の繰糸所(国宝)=群馬県富岡市で2021年8月12日、中山信撮影
富岡製糸場の繰糸所(国宝)=群馬県富岡市で2021年8月12日、中山信撮影

 近代日本工業化の先駆けとなった富岡製糸場は、明治5(1872)年7月には主要な施設が完成した。

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 国内初のレンガ造りとされ、当時の世界最大規模の器械製糸工場を造る、初めて尽くしの難工事にもかかわらず、明治3(70)年10月の建設地決定、翌年3月の着工から1年4カ月という異例の早さだった。背景には、初代場長を務めた尾高惇忠と、尾高に協力した仲間の創意工夫と奮闘があった――と、「尾高惇忠」(さきたま出版会)の著者、荻野勝正さんは語る。尾高は当時40歳。自身の生涯を懸けると決意して臨んだという。

 御雇(おやとい)外国人のポール・ブリュナは、フランス人製図師、オーギュスト・バスティアンに設計を依頼した。江戸幕府が着工した横須賀製鉄所(神奈川県横須賀市)の設計を担当したバスティアンは、それを応用し、2カ月足らずで製糸場の設計図を描き上げた。

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