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私の記念碑

表現者たちが転機になった一作を語ります。

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映画監督 原田眞人/2 脚本に愛を詰め込み

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ロサンゼルスの映画館主に取材する原田眞人(左)=1974年ごろ(本人提供)
ロサンゼルスの映画館主に取材する原田眞人(左)=1974年ごろ(本人提供)

 静岡県沼津市で旅館を営んでいた母親が、無類の映画好きだった。原田が生まれる日も、映画館をハシゴしたという。小学生の時には年100本も映画を見るようになり、沼津東高時代も映画館に通い詰めた。映画誌「キネマ旬報」に映画評を投稿した映画少年は高校卒業後、日本で映画は学べないし映画監督になる道もないと、ロンドンでの語学留学を経て、1973年に米国に渡った。

 映画学科のあった州立のカリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)か、私立の南カリフォルニア大(USC)を目指すも、高校の成績が足りない。USCの学部長に直訴して一旦は編入を認められたが、結局諦めてロサンゼルスの「シャーウッド・オークス・エキスペリメンタル・カレッジ」に通い始めた。

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