アフリカで「甲子園」? JICAを辞めた57歳の球春

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷
タンザニアの選手たちと野球を楽しむ友成晋也さん=Kazuyoshi Matsunaga撮影・友成さん提供
タンザニアの選手たちと野球を楽しむ友成晋也さん=Kazuyoshi Matsunaga撮影・友成さん提供

 今夏の東京オリンピックで、私は陸上競技を連日取材した。その中で強く印象に残ったのが、新型コロナウイルス感染拡大による大会延期のあおりを受け、日本で1年8カ月の長期合宿を余儀なくされた南スーダンの選手たちの姿だった。その合宿の橋渡しをしたのは、友成晋也さん(57)。私は14年前、野球で2008年の北京五輪出場を目指すガーナ代表の支援に奔走する友成さんを取材したことがあった。懐かしさを覚えて改めて話を聞くと、野球不毛の地・アフリカに「甲子園」の名を冠した学生野球大会が誕生していた。

普及活動拡大へ決断

 南スーダンは長年続いた内戦を経て、11年にスーダンから分離独立。その後も内戦が続いた影響で、選手は練習環境に恵まれなかった。そこで国際協力機構(JICA)が前橋市に事前合宿の受け入れを打診し、19年11月に選手4人らが来日。だが、新型コロナによる大会延期もあって1年8カ月もの間、母国に帰ることなく前橋市で練習を積むことになった。

 だからこそ、五輪では平和への願いを込めて走った。男子1500メートル予選に出場したアブラハム・グエム(22)は自らの南スーダン記録を更新すると、両手をたたいて喜びを表現した。「これは終わりではなく始まり。南スーダンが世界の一部になっていると伝えたい」。レース後、グエムは誇らしげだった。

 友成さんは18年8月からJICAの南スーダン事務所長を務め、同国で民族融和に向けてスポーツを介した平和構築プロジェクトに取り組み、前橋市での事前合宿の橋渡し役を務めた。その姿がメディアに取り上げられているのを見ていて、私にはこんな疑問がわいた。「昔取材したアフリカでの野球の普及活動はどうなったのだろう」。五輪後に連絡を取り、オンラインで再会した友成さんは「お久しぶりです」と14年前と同じく、柔らかな笑顔で迎えてくれた。そして、一言。「JICAは20年末で退職しました」。聞くと、一般財…

この記事は有料記事です。

残り2592文字(全文3398文字)

あわせて読みたい

この記事の筆者
すべて見る

ニュース特集