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10年ほど前、東西分裂時代のドイツについて扱った歴史ドキュメンタリーを観(み)た。第二次世界大戦において敗戦国となったドイツは、東西に分断され、西ドイツをアメリカを主とする資本主義陣営が、東ドイツをソ連を主とする共産主義陣営が管理下においたのは今更言うまでもない歴史的な事象だ。戦火の上がることのない、水面下の情報戦、先端技術の開発合戦、それに伴う初期宇宙開発競争などなど、資本主義陣営と共産主義陣営の争いは「冷戦」とうたわれたことを子供心によく覚えている。東西を分断するベルリンの壁が崩れ、新世紀へと移り変わっていったあの時代、当の東西ドイツのそれぞれの暮らしぶりをその番組では扱っていた。
市場原理に基づいて自由な競争を旨とする資本主義に対し、数年先までの経済や政策を計画的に進めていく当時の共産主義は、結果としては生産性が前者より劣り、権力の固定化も進みやすいことが見られた。「計画経済」のための「管理」は、人々の自由そのものを侵し、様々な制限が課せられることになった。当時の東ドイツの暮らしぶりを語る声の中で印象的だったのは、「旅行が制限されていたことが一番つらかった」というものだ。…
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