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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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被爆がれきの新芽に生きる希望 同じ場所で「番人」は手を合わせた

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原爆ドームの敷地内を歩き、被爆直後に植物が芽吹いていたという場所を案内する映像作家の田辺雅章さん=広島市中区で2021年6月25日、山田尚弘撮影
原爆ドームの敷地内を歩き、被爆直後に植物が芽吹いていたという場所を案内する映像作家の田辺雅章さん=広島市中区で2021年6月25日、山田尚弘撮影

 人類史上初の核攻撃による惨禍を伝える原爆ドームは、田辺雅章さん(83)にとって生きていく希望を抱いた場所でもあった。

 「被爆した翌年の4月、真っ黒ながれきの中に若葉を見つけたんですよ。その当時は体に外傷がないのにぽっくり死ぬ人がいて、(被爆直後に広島市内に入った)『入市被爆者』の自分も、いつ死ぬのかという不安感がありました。若葉を見た瞬間、ひょっとしたら生きられるんじゃないかと思ったんです」

 崩れ落ちたままの無残な形をさらしながらも、平和を願う市民の意思によって保存され、世界遺産になった原爆ドーム。戦後半世紀以上たって映像作家として再び向き合うことを決め、徹底した調査を始めると、広島県産業奨励館時代の記憶を証明する作業にもなったという。

破壊されて知ったレンガ造り

 ドームを見渡しながら田辺さんは言う。「破壊されるまで、レンガ建てとは知らなかったんですよ。モルタルで外装を仕上げてあるから、レンガ積みは全く見えませんでした」

 一部には鉄筋コンクリートが使われているが、建物の大部分はレンガ造りで、しかも外壁に開放的な大きな窓が並ぶ構造は、地震などの大きな衝撃には強くない。原爆で完全に倒壊しなかったのは、爆心直下ゆえに爆風による衝撃がほぼ真上から来たからだ。

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