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沖縄「復帰50年」の群像

沖縄が日本本土に復帰して2022年5月で50年。本土とは異なった戦後史を刻んでいる沖縄の「いま」を考えます。

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知られざる少年兵、沖縄「護郷隊」 史実に迫る川満彰さんの情熱

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護郷隊の慰霊碑の前で戦没した隊員たちについて説明する川満彰さん=沖縄県名護市で2021年9月3日、嬉野京子さん撮影
護郷隊の慰霊碑の前で戦没した隊員たちについて説明する川満彰さん=沖縄県名護市で2021年9月3日、嬉野京子さん撮影

 沖縄戦で戦火に巻き込まれた年少者の多くは、生き残った戦後も心に抱える傷がうずく。沖縄本島北部で理不尽なゲリラ戦を強いられた「知られざる少年兵」、護郷隊の調査を続ける川満彰さん(61)はこうした傷に向き合い、中国大陸で孤児に等しい境遇に追い込まれた父の足跡にも思いを巡らせる。そしていま、戦争を子どものまなざしで捉え、語り始める。

元隊員、暴力の背景

 沖縄県名護市の市史編さん室で会計年度任用職員として護郷隊などの調査を進めながら、川満さんは「陸軍中野学校と沖縄戦」「沖縄戦の子どもたち」を著し、講演や子どもたちのための平和ガイドにも力を注ぐ。

 その日も沖縄本島北部で講演を終えると、川満さんと同年配の女性が駆け寄ってきた。「暴力を振るう父が大嫌いでした。でも、どうしてそうなったか、よくわかりました」。女性の父親は元護郷隊員だった。

 川満さんの講演の内容を要約すると――。沖縄戦の前年の1944年、陸軍中野学校出の中尉を大隊長として沖縄本島北部で編成された「第1護郷隊」610人、「第2護郷隊」388人。このほか、「第2」の中隊長が西表島に渡り、七つの島から78人の少年を召集して同じ護郷隊を名乗った。

 なぜ、少年だったのか。結論から言うと、兵士不足だったからである。沖縄戦を前にして、壮年層は防衛隊な…

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