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渋沢栄一を歩く

「日本資本主義の父」と呼ばれ渋沢栄一の生涯を、生まれ故郷・埼玉県深谷市を中心とした取材からたどります。

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渋沢栄一を歩く

/31 初代場長 所長室の「至誠如神」 /埼玉

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東置繭所の2階内部。1階は事務所、作業場などとして使い、2階の広大な空間に乾燥させた原料繭を貯蔵した=富岡製糸場で2021年8月12日、中山信撮影
東置繭所の2階内部。1階は事務所、作業場などとして使い、2階の広大な空間に乾燥させた原料繭を貯蔵した=富岡製糸場で2021年8月12日、中山信撮影

 富岡製糸場の初代場長、尾高惇忠は長女の勇(ゆう)を率先して入所させ、工女募集にまつわるデマを打ち消した。

     ◇

 操業開始から3カ月後の1873(明治6)年1月には、富岡製糸場で働く工女の数は404人を数えた。最終的には、15~25歳の女性が32道府県から集まった。当初はフランス人女性4人が日本人工女に繰糸技術を伝授し、次第に熟練した工女が育った。

 生糸は横浜から米仏などに輸出された。光沢豊かな「トミオカシルク」はウィーン万国博覧会(73年)で「二等進歩賞牌(しょうはい)」を受賞するなど高い評価を得た。

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