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和解のために 2021

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和解のために 2021

分かれた韓国の司法判断、政治解決さえ困難に

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徴用工問題を議論する韓国国会外交統一委員会で、「被害者の声を聞いてほしい」と証言する原告団の崔鳳泰弁護士(中央奥)=2019年10月21日、堀山明子撮影 拡大
徴用工問題を議論する韓国国会外交統一委員会で、「被害者の声を聞いてほしい」と証言する原告団の崔鳳泰弁護士(中央奥)=2019年10月21日、堀山明子撮影

 徴用工問題をめぐる議論が、日韓両国で活発化してきた。一つのきっかけは、日本製鉄を被告とする元徴用工判決で、韓国最高裁(大法院)が2018年に同社の上告を棄却し、原告1人あたり1億ウォン(約1000万円)を支払うよう命じる2審判決が確定したことだ。中には、李栄薫(イ・ヨンフン)元ソウル大教授らが書いた「反日種族主義」(文芸春秋、2019)のように日韓でベストセラーになった本もある。韓国・世宗大の朴裕河(パク・ユハ)教授は、近年議論になったこの問題の分析や解決策を取り上げ、検証を試みる。

建前と心の内で揺れる平等と差別意識

 今月8日、韓国の元徴用工の遺族たちが日本企業を相手に損害賠償を求めた訴訟で原告がまたもや敗訴した。担当した韓国のソウル中央地裁は、訴訟を起こした時期を問題視して消滅時効としたが、恐らくそれは建前なのだろう。6月にソウル中央地裁が下した原告敗訴の判決こそが、2018年判決に反する一連の判決を出した判事たちの考えに近いように見える。今年だけで原告たちが敗訴した裁判がすでに3回あったが、今後も日本企業への賠償命令が確定した2018年の判決とは異なる判決が出続ける可能性は高い。

 近年、元労務・徴用者たちの訴えに対して苦痛などなかったというような否定的な見方が注目を浴びているが、そうした声もあるいは判決に影響しているのかもしれない。少なくとも、6月の判決に見られたように保守側の考え方が裁判に反映されつつあることは確かだ。たとえば、一昨年日本でベストセラーになった李栄薫編著「反日種族主義」の李宇衍(イ・ウヨン)氏や、西岡力著「でっちあげの徴用工問題」(草思社、2019)などもそうした声の例である。

 李宇衍氏の論旨は、賃金の差別はなかった、あったとしてもたまたま需要と供給が一致しただけであって日朝間の根源的差別があってのことではない、というものである。

 確かに、制度的には差別をせずに賃金がきちんと支払われた場合はないわけではないだろう。しかし、賃金やその他の手当の支払いは募集、官斡旋(あっせん)、徴用など異なったシステムの中でそれぞれ違っていたし、「国家性」の強い動員をめぐって動員システムさえうまく機能していなかったことが指摘される(外村大・東京大教授)中、そうした「原則」がきちんと守られていたと考える方が甘いのではないか。

旧朝鮮総督府 拡大
旧朝鮮総督府

 たとえば、戦時期にマリアナ群島で農場管理をして生きたある朝鮮人は、戦争末期に日本海軍によって島民たちが徴用されたこと、突然の敗戦で賃金などをもらえなかったことを書き残している(趙誠倫<チョ・ソンユン>編「南洋の島で生きた朝鮮人、松本の回顧録」堂山書院、2017)。食事も満足に与えられない環境の中での過酷な労働、そして日本人の管理人たちにひどい扱い方をされていた現場を、“二等国民”松本は島民の側に立ってつぶさに見ていたのである。

 労働の現場における民族差別とは、平等に扱うべしとする建前と心の内の差別意識の間を揺れながら隠微に表れるほかない。差別が露骨な場合はストライキを起こされもするわけだから、支配者はそれなりにぎりぎりの採算を考えることになる。心ある支配者なら、なおさら言うまでもない。そうしたことは、植民地統治全般において言えることだ。露骨で極端なケースを強調する支配をめぐる議論が、その本質のすべてを捉えてはいないように、それとは反対の立場に立つ、差別なしとする議論も同じ陥穽(かんせい)に陥ることになるのである。

 たとえば、上記の松本は自分から南洋の貿易関係会社に就職して日本人上司に寵愛(ちょうあい)され、よい待遇を受けながらも、日本人と島民の中で「本当の日本人ではない」「自分の弱い立場」をちゃんと認識している。帝国・植民地構造は、自らを支えるシステムが必要なだけ、暴動などを起こされて壊れないくらいのアメは用意するものだ。利益を予想・期待しない支配などありえないと言える半面、そうした試みは必ずしも悪意からのものだけではないのである。支配者たちもまた、試行錯誤を繰り返しながら統治をするわけで、1919年の3・1独立運動のあと朝鮮総督府が文化政策に転じたこともその一つだろう。

 そういう意味で、朝鮮人動員にたとえ男たちの「ロマン」が潜んでいたり、「自発的移民・密航」の事実があったりしたとしても、そのことが直ちに差別・強制がなかったことになるわけではない。仕事を求めて日本にやってこなければならなかったこと自体が、植民地となった朝鮮に食べていけるのに十分な統治が敷かれていなかったことの結果だからである。いくらかの華やかさが移動先にあったとしても、支配者たちの領土への移動は所詮、日本人の満州「開拓」のロマンとは同質ではありえない。

 李宇衍氏は、職場から逃げて故郷へ帰らずに、別の仕事場へ移ったこともロマンを追い続けた根拠と見なすが、それは(そういう人がいなかったということではなく)貧しい植民地人が置かれた脈絡を見ない判断でしかない。朝鮮の農地で働いても食べていけるようになったとき、人々は海を渡る徴用を嫌ったとの記録もあるからだ。

 朝鮮人と日本人の賃金格差について、日本人には家族がいて、仕事をたくさんこなした結果として超過手当が多かったとも李宇衍氏は強調するが、徴用された多くの朝鮮人も故郷に家族を残していたし、原則として賃金は家族に送られることになっていた。2018年の最高裁判決で、原告が未支払い賃金ではなく慰謝料に焦点を当てたことに対し、一部では「未支払い金が少ないために訴訟戦略を変えた」などの見方があるが、これは悪意的すぎると言わざるをえない。

 また、確かに朝鮮人の平均的体格は日本人より大きかったようだが、そのことが即「体格が大きく堂々としていて奴隷ではない」ことを証明するわけではない。朝鮮人松本が自分より体格の大きい島民たちを管理する立場になったとき、恐れを抱きながらも確実に支配下に置いていく過程を見てもそれは明らかだ。<以上、李宇衍氏の主張は李栄薫編著「反日種族主義」、「反日種族主義との闘争」(文芸春秋、2020)と、「エネルギー史研究」(32、2017)所収の李宇衍氏の論文「戦時期日本へ労務動員された朝鮮人鉱夫(石炭・金属)の賃金と民族間の格差」から>

 実際に、支配者の物理的暴力は恐れから引き起こされることが多い。さらに、ほとんどの人が最初に言われた2年で帰ることができたという断定が決して正しくないということが、多くの証言で確認できる(厚生研究会「国民徴用読本」新紀元社、1944、ほか)。

 当時、朝鮮で地方官吏を務めたある日本人が「郡で十人集めることも総督府は苦労し、私は地域の実力者である三長官に協力をお願いしたほど」(桜の花出版編集部「朝鮮総督府官吏 最後の証言」発行・桜の花出版/発売・星雲社、2014)と語っていることも、「ロマン」なるものがそれこそロマンチックな幻想でしかないことを示す。この人は「三長官」(面長、校長、駐在所の主任)らの協力を得て説得し、強圧でない方法で無難に集め、栄転したと誇らしく述べているが、それはいわゆる物理的強制動員が徴用の主な手段でありえなかったことの証明にはなっても、多くの関連口述にあるように「三長官」たちの用いた手段が、配給がないなどの脅迫や脅迫まがいの間接的な強制であったことを理解しないものでしかない。

財団構想と「個人の権利の抹消」

世宗大の朴裕河教授=同大で2021年6月18日、坂口裕彦撮影 拡大
世宗大の朴裕河教授=同大で2021年6月18日、坂口裕彦撮影

 とはいえ、こうした主張が出てくるようになった文脈を無視するわけにはいかないだろう。李宇衍氏の論文は確かに、そこで指摘されるような問題――動員に関する誤解や間違った認識――があるからこそ出てきたものであり、それに対する反論自体を封じ込めようとする動きも由々しきことだ。

 韓国では、徴用工問題は2018年判決まで、慰安婦問題ほど注目されなかった。近年、急に注目を集める中で慰安婦問題がそうだったように、誇張された言説や誤解の多い議論がたくさん出回ったのは確かである。それは慰安婦問題をめぐってすでに定着していた日本への悪感情を正当化する働きをし、17年公開の韓国映画「軍艦島」のような、勇ましいだけで実際には「被害者がいない」(朴裕河「軍艦島には被害者がいない」、2017年7月31日、「ハフポスト」韓国版)映画も作られた。そうした認識が18年の判決に影響した可能性さえ考えられなくもない。

 しかし、日本での戦後補償訴訟に出合ったことがきっかけでこの問題に関わるようになったというある弁護士は、18年裁判で敗訴した日本企業の韓国内財産売却命令の申請を延ばすとして「日本との葛藤を起こしても別にいいことはない」「両国政府がまずまじめに外交的協議をせよ」と話した(崔鳳泰<チェ・ボンテ>氏、2019年7月19日「文化日報」)。その発言は、まさに訴訟を勝ち取ることが実は政府を動かすための武器でしかなかったことを明瞭に示してもいた。

 また、日本の財産を押収したとしてもそれが徴用工問題の「解決」になるわけではない。関係者らは近年、日韓両政府や両国企業が参加する財団(基金)構想を語ってきたが、人件費を憂慮する質問に対して、財団が「長期的には、弁護士の収入という面でお金になる、日本に労働者の供託金があり、財団を運営しながら、その供託金を探す過程に弁護士が貢献すると金銭的に補償を受けることも可能だ」と話した(崔鳳泰氏インタビュー「弁護士に会う」、「法律放送」2017年6月21日)。しかし、これでは本末転倒というほかない。

 しかも「政府による解決」の中身とは、日韓両政府が協議して被害者の請求権を抹消し、財団による補償をするというような「包括的和解」である。しかし、これまでの訴訟の目的は「個人請求権」を認めてもらって賠償責任を取らせることにあったはずだ。それを政府がなくせるかどうかも疑問だが、それこそ、これまで裁判を率いていた人たちが批判してきた「国家による個人の権利の抹消」という「処理」ではないのか。

 さらに、新たな人権財団を作る案を紹介しながら「日本企業の信託金を受領する際、法律上和解とみなす条項をおいて、最終的安全装置を確保した」と話している(崔鳳泰「日帝強制動員被害者支援財団の役割強化を願って」日帝強制動員被害者支援財団主催「日帝強制動員被害者に対する財団の役割と課題」、2019年3月15日、ソウル)。そもそも、個人請求権が政府間協議で消滅可能なものなら、1965年に政府が消滅させた請求権が生きているという主張自体が成立しないだろう。(以上、19年4月15日の「日本記者クラブ」における崔鳳泰氏の会見内容も参考にした)

 裁判を支えてきた日韓の代理人たちは「両国の司法が個人請求権を認めた」と語ってきた。ソ連やアメリカに対する日本国民の損害賠償請求権をめぐる日本国家の主張が「被害者の個人の損害賠償請求権は消滅していない」(山本晴太・川上詩朗・殷勇基・張界満・金昌浩・青木有加「徴用工裁判と日韓請求権協定」発行・現代人文社/発売・大学図書、2019)というものだったことをもって韓国人の請求権も残っているとする。しかし、「個人請求権」にこだわる「法的」考え方は、同じ論理で韓国に残っている日本人の財産をめぐる個人請求権も認めねばならない方向に導くだろう。

 また、支援者たちはドイツが強制動員被害者に補償したことをもって補償のための財団作りを必然として語ってきた。しかし、ユダヤ人の労働動員は、過酷な労働という点では似たところがないとは言えないにしても、ドイツのような人種抹殺政策とは、構造も脈絡も異なる。慰安婦問題でも支援団体は00年以降、慰安婦の状況とホロコーストを同一視してきたが、そうした不正確な認識は問題解決を引き延ばした。

 原告たちのために献身してきた多くの日本人の善意と努力にはいくら敬意を表しても表し切れない。しかし、原告たちが最後の望みをかけた韓国での訴訟でさえ判決が分かれてしまっている現状を見る限り、今後どのような判決が出ようとも判決を導いた人々の考えだけでは政治的解決さえも難しいはずだ。また、被害者たちの関係団体は30近くもあって、すべての被害者たちが訴訟を望んだ人たちと同じ立場にあるわけではない。中には、韓国政府が先に補償することを求めてデモに繰り出す遺族たちもいた(連合ニュース、2019年10月30日)。

朝鮮総督府の文化政策

 1919年の3・1独立運動後に第3代朝鮮総督となった斎藤実が実施した朝鮮に対する植民地支配政策。武断政治が朝鮮民族の抵抗によって行き詰まったため、外見上の融和政策によって危機打開を図った。総督武官制の廃止、憲兵警察制度の廃止、言論・集会・出版の自由の限定的な容認など、それまでの抑圧的な政治を改め「文化政治」を掲げた。だが、実際には文官が総督になったことはなく、警察機構も拡充されるなど、軍事支配の本質は変わらなかった。

ドイツの強制動員被害者補償

 ドイツは戦時下の強制労働者への補償を目的に、フォルクスワーゲンなどの企業とドイツ政府が、国家賠償ではなく人道的見地による自発的な補償として資金を拠出し、2000年に「記憶・責任・未来」財団を設立した。補償財団の特徴は、単に被害者への補償だけでなく、過去を直視し、迫害の記憶と責任を未来に引き継ぐ再発防止を組み合わせた点にある。07年までに東欧、ロシアなど世界約100カ国の約166万5000人に約44億ユーロ(当時で約7040億円)が支払われた。

パク・ユハ

 1957年、韓国ソウル生まれ。韓国・世宗大教授。慶応大卒、早稲田大大学院で日本文学を専攻、博士号を取得。主な著作に、「反日ナショナリズムを超えて」(河出書房新社、日韓文化交流基金賞受賞、のち「韓国ナショナリズムの起源」と改題し文庫化)、「和解のために――教科書・慰安婦・靖国・独島」(平凡社、大佛次郎論壇賞受賞)、「帝国の慰安婦――植民地支配と記憶の闘い」(朝日新聞出版、アジア・太平洋賞特別賞、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)、「引揚げ文学論序説――新たなポストコロニアルへ」(人文書院)など。

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