連載

和解のために 2021

毎日新聞デジタルの「和解のために 2021」ページです。最新のニュース、記事をまとめています。

連載一覧

和解のために 2021

60年代の思考で「今」が拘束されていいのか

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷
会見で日韓併合100年の談話などについて語る当時の菅直人首相=首相官邸で2010年8月10日、尾籠章裕撮影 拡大
会見で日韓併合100年の談話などについて語る当時の菅直人首相=首相官邸で2010年8月10日、尾籠章裕撮影

 徴用工問題をめぐる近年の調査研究には、強制動員被害者の口述集のように問題の実態に迫る貴重な成果もある。それらは、継承すべき記憶を残し、問題を正しく理解することに資するかもしれない。韓国・世宗大の朴裕河(パク・ユハ)教授はそうした進展を踏まえ、日韓関係の基本的な枠組みになっている1965年の日韓基本条約当時の努力と限界を見据えつつ、慰安婦問題の混乱を教訓に東アジア共通の歴史作りを模索するよう提案する。

脱植民地主義の視点から過去を問い直す

 徴用工問題に関する昨今の相反する見解には、それぞれ傾聴すべきところもある半面、多くの矛盾を抱えている。にもかかわらず、両国の国民はまたもや慰安婦問題の場合と同じく、この両方のどちらかの言い分のみを信奉する状況が続いている。

 しかし、慰安婦問題が30年続いたのは、まさに二分法的構造が問題発生当初から作り上げられ、そのままお互いを全否定して敵対視さえしてきたためでもある。そうしたことを繰り返さないためには、徴用・戦時動員をめぐる分裂した議論の接点を作ることが今必要なのではないか。そのためには、徴用をめぐるこれまでの認識やなされたことを検証することこそ急がれる。その過程で得られたことを両国の国民に知ってもらうだけでも、認識の接点は多少なりとも作れるはずだ。

 今のままだと、かえって歪曲(わいきょく)された記憶ばかりが増殖する可能性は大きい。そして、それに対抗すべくまた反対の言説が作られ続けるだろう。そうしたことを、すでに私たちは慰安婦問題を通して見てきたはずだ。心ないおとしめでも否定でもなく、手っ取り早い「解決」でもない、別の形の模索が必要だ。もっとも、日本政府の立場は65年の日韓協定(注:韓国では日韓基本条約および付随する諸協定のことを一般に日韓協定と呼ぶ)で終わったとするものだ。しかし、果たしてそうなのだろうか。終わったとすれば何が「終わった」のか。

 日韓協定は「植民地支配」のことを日韓ともに意識しつつも、そうした思いを形に残すことはしなかった。だからこそ最初に紹介したように90年代以降、日韓協定の破棄や再締結を唱える人々が出てきたのである。そうした主張の是非はさておき、恐らく重要なのは、植民地支配がもたらした、えせ「国民」徴用の悲劇について「今の」日本人たちがどのように思うかということではないか。

 過去の人々が作った形をあえて壊さなくても、もし考えの進展があるなら、それを表す方法を考えることは可能なはずだ。1965年協定で韓国に渡された「経済協力金」がどのような性格だったのかについては裁判でも議論されているが、日韓協定をめぐっての解釈は日本政府も韓国政府もかつてと反対の立場に立つなど、都合のいい解釈ばかりが目立っている。

 冷戦時代のさなかの日韓協定は、過去より目の前の現実(冷戦や経済)に強くとらわれた国交正常化であり、西欧を含む過去の帝国国家が、どこも植民地支配への謝罪など考えなかった時代に出されたものだった。そういう意味では、脱植民地主義意識が高まった今日において、改めて過去のことを問い直すのは大きな意味がある。

 60年代の人たちがどう考えたか、どのような形を残したかで「今」が拘束されていいものだろうか。何より当時はなかった植民地支配への謝罪を日本は90年代以降繰り返し示してもいる。日韓ともに、現代の私たちがすべきことは、当時の人たちの思考の努力とともに限界を見ることだろう。それこそが歴史の進歩であるはずだ。

 すでに知られているように、韓国は70年代には日本から受け取ったお金を使って、2000年代には独自に、合わせて2度補償を実施した。その2度目のときに設立された政府傘下の委員会で活動した人々が、10年以上にわたって元徴用工・軍属・軍人など被害者たちの話を聞き、研究・調査し、10冊以上の口述記録集やその他の資料集を出してきた過程を書き残している。

 この回顧集によれば、韓国で調査が完了した強制動員被害者は15万人余りだった。そして、11万人以上の申請を受けて実際に慰労金などを支給した人数は7万人以上にのぼる。そのうち死亡や行方不明者は1万7000人余り、負傷障害者は1万4000人余である。これらのケースと重複もあるというが、賃金未収金を受け取った人はむしろこれより少なく、1万6000人余である(以上、許光茂・鄭惠瓊・吳日煥「日帝強制動員、政府が中断した真相糾明――11年間の批判的回顧」ソニン、2020、以下同じ)。そして支給された金額は6000億ウォン以上だった。

 じつは戦時動員関連名簿も数種類残っていて、53年に韓国内務部が作った「日政時被徴兵徴用名簿」には22万9782人が記録されているという。57年に韓国労働庁が作った「倭政時被徴用者名簿」には、28万5711人が載っており、11万8520人を強制動員被害者と確定した。このほかにも、90年の盧泰愚(ノ・テウ)大統領訪日時、日本の旧厚生省から渡された軍人軍属名簿や被徴用者名簿なども存在するという。

 この回顧集には、その期間中になされた日本政府との協力の様子も丁寧に記されている。日本は、06年には、海外追悼巡礼に参加する家族に経費の3分の1を日本政府が賄い、当地の日本領事が追悼式に参例し、追悼の辞も朗読した。07年には、やはり日本の法務省から「軍人軍属供託金名簿」(11万5076人、重複あり)を、10年には「労務者など供託金名簿」(6万4279人)を、11年には旧厚生省から被保険者名簿(1万147人)を渡されたという。

 つまり10年前まで、この問題をめぐって日韓両国はきちんと協力していたのである。このとき日韓遺骨協議体も発足し、お寺や野原、炭鉱に埋められている遺骨収集のため20回余り協議し、日本からは遺骨の情報が提供され、お寺の実態などが送られてきた。日本政府もまた、独自に234回も現地の実地調査を行い、1000柱を確認した。そして08年の遺骨奉還式に副外相、副厚生労働相が参列し、追悼の辞を朗読した。

 しかし、こうしたことは韓国ではあまり知られていない。おそらく日本でもそうなのではないか。相反する対立の声ばかりが大きい理由の一つには、そうしたこともあるのではないだろうか。

 11年末の日韓首脳会談で李明博(イ・ミョンバク)大統領が慰安婦問題の解決を強く求めたことで協議体はストップし、12年8月の大統領の竹島上陸以降は調査も中止された。そして12年以降に、日韓関係が悪化する前のことがほとんど知られないまま今や「過去の歴史に加害者日本は知らんぷり」という認識が韓国では一般的になっている。

慰安婦問題を教訓にアジア共通の歴史を

早稲田大学での講演で、徴用工問題の「包括的解決」の方向性について語る文喜相・韓国国会議長(当時)=2019年11月5日、日下部元美撮影 拡大
早稲田大学での講演で、徴用工問題の「包括的解決」の方向性について語る文喜相・韓国国会議長(当時)=2019年11月5日、日下部元美撮影

 回顧集の著者たちは、委員会が解体された経緯も記しながら「両国の政府が少しでも人道主義的な次元でこの問題に関心を注ぐなら、この問題を契機として両国が関係改善の出発点にできるのみならず、すぐに実現可能」との見解を示す。

 回顧集には、敗戦直後に韓国・郡山から日本へ行った強制動員被害者1803人が「日本から受けた冷酷な待遇について」補償を要求し、「死亡者2万円、負傷者1万5000円、帰還者1万円を要求した(その後1人3000円、総額540万円を要求した)」ことが、当時現場にいた森田芳夫の「朝鮮終戦の記録」の記述を借りて転載されている。こうした状況や当時想定された数字は、歴史が政治にまみれる前のものとして参考にすべきだろう。

 前回の連載で見たように、被徴用者たちは単に企業のために働いたわけではなく、お金の介在は別として「国家のために」働いた。中には、サハリンに移住し暮らしていた人たちが日本に配置転換され、家族と生き別れになったまま数十年後にようやく家族と再会したケースも多いことを、委員会は突き止めている。徴用工問題がどのように展開されようとも、そうしたことを日本の国民に知ってもらうのは意味があるはずだ。

 戦争ばかりが日本の近代ではない。占領地・植民地の獲得こそが日本の近代であり、戦争はそのための手段でしかなかった。そして、そのようにして獲得した資源と労働力を、日本は「皇民化教育」を通して同化させながら「日本人」意識を吹き込ませつつ、可能な限り使った。問題の解決とは、同時代の価値観を込め、継承すべき記憶を残すということであるはずだ。どのような形の解決になろうとも、慰安婦問題同様、日本政府が主体となってアジアの人々が共有しうる「正しい理解と記憶」を作るべきではないだろうか。

 慰安婦が法律の外に置かれた人たちだったとしたら、被徴用者たちは明らかに国家の強制性が機能した存在だった。そして、日本の子どもたちが「疎開」して命が守られていたとき、朝鮮の少女たちは軍需工場に配置されて爆撃の対象となった。漫画「この世界の片隅に」で、主人公のすずは爆撃で片腕を失くすが、そうした悲劇はすずだけのことではなかったのである。

 70年代後半に作られた朝鮮人慰安婦のドキュメンタリー映画「沖縄のハルモニ 証言・従軍慰安婦」(山谷哲夫監督)には、沖縄人から強姦(ごうかん)・強盗を働いたと申告された「軍夫」軍属たちをいともたやすく首を斬って殺した話をする元軍人が出てくる。反戦運動の一つとして戦争の残虐さを語るような人たちと違って、この元軍人はさほど悪びれることもなく、そのことをカメラの前で話す。「今から思えばもったいないことをした」とカメラに向けて言うのである。

 しかしこの軍人は、爆撃で死んで放置されたままの朝鮮人慰安婦の死体を埋めてあげた人でもあった。良くもあしくも、帝国の一員たちの被支配者への管理意識が確認できる場面である。そのようにして死んだ人たちの多くが後に「行方不明」と「処理」されたのだろう。軍属でさえそのような境遇にあったのだから、炭鉱や建設現場や工場における多くの死が、構造的に同じ範疇(はんちゅう)にあることは言をまたない。

 「朝鮮人が本当にたくさん死んだよ。大きな病院があった。それでもたくさん死んだ。(中略)そんなところに、また働きに行くわけだから、お弁当持っていくのだけれど、夜、変な夢を見るだけで、わしはこの弁当食って仕事ちゃんとこなして出てこられるのだろうか、そこで死んじまうのだろうかと、そんなことから考えちまう。変な夢を見ると心配になるわけだよ」「村で一番弱い人から捕まえにくるんだと。村でも貧しいか姓が異なる人から。勢力のない家は巡査が来て捕まえ、また次の人捕まえ」(金ホギョン他「日帝強制動員、その知られていない歴史」トルベケ、2010)。こうした口述が日本の人々に記憶されることは、日本の戦災者たちとともに過去を引き継ぎ、戦争・植民地被害の記憶を共有するきっかけにもなるはずだ。

 今必要なのは、自らの被害の大きさを強調することではなく、自国の被害を通して他国民の被害に対する想像力を育てられる装置を作ることではないか。それこそが大人として次の世代へ残すべきことであろう。

 慰安婦問題は、冷戦崩壊という政治的要素が混入して大きな混乱を招いたが、徴用工問題でそれを繰り返してはならない。そして、今からでも東アジアの共通の歴史を作る模索を始めるべきだ。ハンセン病患者さえも戦時物資作りに動員され、軍事施設の建設に必要なレンガも作った(同)というが、そうした幾層もの差別構造を、後世の人がともに考える意味は大きい。

 政府間の協力のみならず、99年には日本鋼管が韓国の元徴用工1人に解決金410万円を支給した。00年には不二越が韓国の元挺身(ていしん)隊員8人と1団体に解決金3000万円余りを支給し、会社内に記念碑を設立するなどの「和解例」がある(内田雅敏「元徴用工 和解への道――戦時被害と個人請求権」筑摩書房、2020)。しかし、こうした事例は今や両国で忘れられているのではないか。近過去に存在したそうした努力を思い起こし、今一度対話を始めるべきではないだろうか。

 少し前に韓国で提案された「文喜相(ムン・ヒサン)案」というものがあった。この案は65年の協定は有効、という立場を取り、過去に日本が個人請求権を認めたことをもって元徴用工の請求権があるとしている。

世宗大の朴裕河教授=同大で2021年6月18日、坂口裕彦撮影 拡大
世宗大の朴裕河教授=同大で2021年6月18日、坂口裕彦撮影

 しかし、韓国人の請求権――「権利」を認めるといった発想は明らかにこの問題が法律に訴える形で始まった結果だろう。韓国に残っている日本の財産に対する日本人の請求も可能になるということもそうだが、記憶の補償の装置作りは必ずしも「権利」の発想に頼らずともできるはずだ。さらに、日本企業が何らかの対応をすべき理由として中国の元労働者との和解を挙げているが、中国の場合は文字通りの強制労働で、朝鮮とは国家間の関係も動員過程も異なることが考慮されていない。

 また、文氏の案では中国の場合は日本との国交正常化の際、戦争賠償請求を放棄し、個人がお金を受け取ったことはそれまでなかった。さらに、日韓合意の際、日本から受け取ったお金のうち残ったものを活用することが提案されたが、慰安婦支援団体の抗議を受けて撤回された。慰安婦問題の解決のために用意したお金は最初の目的に合わせて使われるべきだろう。

 当の問題に対する両国民の十分な理解なしにいきなり財団(基金)を作ってもうまくいかないことは、慰安婦問題で学んだのではないか。日韓合意の試みは評価するが、そこでなされなかったのは問題に対する理解の接点作りだった。それとは裏腹に、特に韓国において反対運動が成功したのは、それまでのメディアや国民の認識が支援団体から与えられたものだったからだ。

 まずは10年前までなされていながら止まったままになっている真相究明や慰霊碑作りなどの協力事業を始めてはどうだろうか。09年12月30日の朝日新聞朝刊は「韓国の4727人、社保庁が年金記録確認」「戦時動員の民間人」「支援金受給に光」「朝鮮名で246人、日本名で4642人の計4888人の加入履歴を確認」したと伝えた。また、13年9月9日の「東亜日報」が、被徴用者たちの郵便貯金通帳が数万発見されたと報道したこともある。しかし、確認作業の進展は全くないようだ。そうした作業は、より多くの人が納得する補償や謝罪の形をおのずと作っていくだろう。

 裁判で勝って韓国にある日本の資産を差し押さえるとしたら、それはさらなる関係悪化を招くほかない。納得しない日本企業にお金を出させても事態は変わらない。財団を作って一気に処理しても、それは「処理」でしかなく、日本人の支持も得られないだろう。相手の気持ちを無視した「包括的和解」が、本当の和解を呼ぶことは恐らくない。

 65年に日本から受け取ったお金を使って発展した韓国の製鉄会社ポスコは、すでに60億ウォンを「日帝強制動員被害者支援財団」に出している。18年から被害者遺族に毎年金銭支援をしているというが、遺族福祉事業が困難になったと言う(21年6月24日「アイ・ニュース」)。法律に基づいてできた財団ではあるが、韓国政府は今度こそ民間や「司法」に任せっきりにせずに、主導的な役割を果たすべきだ。

 訴訟のために献身してきた人々も、今では「日本政府及び韓国政府は、いずれも個別訴訟の積み重ねに委ねるのではなく、政治的に全体的解決を実現するよう取り組みを始めるべきです」(山本晴太・川上詩朗・殷勇基・張界満・金昌浩・青木有加「徴用工裁判と日韓請求権協定」発行・現代人文社/発売・大学図書、2019)と話す。しかも「基金からの補償金は、訴訟手続きを経ずに受け取れるのであり、訴訟を行う場合に比べて負担が軽いことからすれば、勝訴判決の金額よりも少ない金額であったとしても、必ずしも不合理とまでは言えません」(同)とも言う。両国政府は、こうした関係者たちのすべての声を聞きながら、過去と現状の検証と確認作業を始めるべきだ。そして、確認できたことを双方でメディアに発表するだけでも、国民の共通認識を作ることは不可能ではない。

 10年8月、当時の菅直人首相は「遺骨返還支援という人道的協力を今後も誠実にしていく」(韓国併合100年、首相談話)と話している。また、「90年以来(在韓)韓国人被害者が提訴した数十件の戦後補償訴訟において、99年までの10年間、国側が『請求権』について日韓請求権協定で解決済みとの抗弁を主張した例は一件もな」い(山本晴太ほか、同)という。

 慰安婦問題などで日韓関係がこじれてしまったのは残念だが、今の状況を放置するのはそうした結果を望む人々を利することにしかならない。その意味でも、日本政府や国民が、かつての努力に込めていた気持ちを思い出すことを願いたい。

=次回は10月26、27両日に掲載予定

「文喜相案」

 韓国国会の文喜相議長(当時)が2019年12月、元徴用工問題の「包括的解決」を目指して国会に提出した法案。日韓両国の企業と個人の寄付で新たに「記憶・和解・未来財団」を設立し、日本企業を相手にした賠償請求訴訟で勝訴が確定した元徴用工らに強制動員被害者の「精神的被害に対する慰謝料」を支給する内容で、これにより被告の日本企業への賠償請求権を放棄させる仕組みを定めたものだった。

菅直人首相談話

 日韓併合100年に当たって菅直人内閣が閣議決定し、発表した。アジア諸国への植民地支配と侵略を謝罪した1995年の村山富市首相談話を踏襲し、「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛」を認め「痛切な反省と心からのおわびの気持ち」を改めて表明。「これからの100年を見据え、未来志向の日韓関係を構築」することをうたい、植民地支配時代に日本へ流出した「朝鮮王室(王朝)儀軌(ぎき)」などの文化財を渡す方針を示した。日韓併合条約の違法性は認めなかったが、「韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられた」とし、「痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることはできない」と植民地支配の「過ち」を認め、反省とおわびを表明した。

あわせて読みたい

この記事の特集・連載
すべて見る

注目の特集