「GAFA」になれなかった男たち ミクシィ浮沈の歴史

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「競輪事業を次の柱にしたい」。新設された千葉JPFドームでそう語るミクシィの木村弘毅社長=千葉市中央区で2021年9月15日、西夏生撮影
「競輪事業を次の柱にしたい」。新設された千葉JPFドームでそう語るミクシィの木村弘毅社長=千葉市中央区で2021年9月15日、西夏生撮影

 柱のない巨大な楕円(だえん)形のドーム屋根の下に真新しい木製のトラックが広がる。千葉市内に建設された屋内型競輪場「千葉JPFドーム」(10月2日に「ティップスター ドーム チバ」に改称予定)に、9月中旬、IT企業「ミクシィ」社長、木村弘毅さん(45)の姿があった。同社が運営に関わる新たな自転車競技が10月からこの競輪場で始まる。「若い人やファミリーなど今までと違う層にアピールしたい」。トラックを見渡しながらそう力を込めた。

 ミクシィは2019年に競輪事業に参入した。競輪は、公営競技の中でも選手が“動力”となる唯一の競技で、IT企業が関与するのは違和感がある。なぜ競輪なのか。「公営競技の中でデジタル化が進んでおらず、うまく投資できれば見返りが大きいと考えました」。木村さんはそう説明する。ミクシィは若者をターゲットに据え、オンライン投票やタレントがレース結果を予想する動画のライブ配信などを手がける。新型コロナウイルスの感染拡大で無観客開催が続いているが、車券などの売り上げは順調だ。

 しかし、社内では競輪参入に反対の声が多かった。「競馬ならおしゃれな感じで売り込めますが、競輪は自信がありません」「本当に若い人に受けるんですか?」。異論が相次いだ。また「モンスターストライク」というオンラインゲームが好調な時期でもあった。それでも木村さんは反対を押し切り、自ら旗を振って競輪事業に乗り出した。「安定的に成長するには、今から次の柱を育てなければいけない」。そう語る背景には、日本におけるSNS(ネット交流サービス)市場を切り開いたといわれるミクシィがたどった浮沈の歴史がある。

 ミクシィは笠原健治さん(45)が創業した。笠原さんは、東大在学中の1997年に起業し、求人情報サイトを運営していた。ミクシィのビジネスモデルを思いついたのは、02年設立の米国企業が始めた「フレンドスター」というSNSがきっかけだった。ネット上に自分のプロフィルや友人関係を公開するもので、各国で利用者を増やしていた。

 「面白いサービスがあるよ。事業としてやってみたら」。留学生の友人に勧められフレンドスターをのぞき、衝撃を受けた。「当時、ネットで自分の情報を公開することに抵抗を持っている人が多かったが、利用者は公開して楽しんで使っていました。異次元のサービスだと思ったのです」。可能性を感じた笠原さんは「友人同士がつながるだけでは飽きられる。つながった人々が日々コミュニケーションを取れるようにすることが重要」と、独自のサービスを考え出した。

 利用者が自由に発信する「日記」や、共通の趣味や興味を持つ人たちが集まる「コミュニティ」、自分のページに誰が訪れたかが分かる「足あと」。そうした機能を盛り込み、約4カ月で作り上げた。「mixi(ミクシィ)」は「mix」(交流する)と人をイメージしたという「i」を組み合わせた造語で、「人と交流する」という意味を込めた。

SNS事業一気に拡大

 友人の招待で登録するという安心感もあり、ミクシィは一気に広まった。06年9月に東証マザーズに上場した際には買い注文が殺到し、初値が付かないほどの人気となった。その年は、新語・流行語大賞のトップ10にも選ばれた。一方で、事件や事故に関係した人のミクシィのページが特定され、個人情報がさらされた。違法薬物の取引などにも悪用され「犯罪の温床」との批判も出た。良くも悪くも、ミクシィは社会現象となり、同じ頃に創業したITベンチャーから頭一つ抜け出た存在となった。

 「もう勝てないと思った」。ミクシィと同じ04年2月にSNS「GREE(グリー)」のサービスを始めた「グリー」の共同創業者、山岸広太郎さん(45)=慶応イノベーション・イニシアティブ社長=は、当時のミクシィの勢いをそう振り返る。「会員数が10万人になるのはほぼ同じペースでしたが、ミクシィは100万人に伸びるスピードが全然違いました」と言う。

 そんなミクシィは、若い人材も引きつけた。現社長の木村さんもその一人だった。大学中退後、別のベンチャー企業でSNSの運営に関わっていた。「SNSで圧倒的ナンバーワンのミクシィは、どうしても入りたい、入らないといけない会社だ」と門をたたいた。事業を成功させた笠原さんに憧れる一方、「同じSNSの分野で『俺よりすごいやつがいる』という悔しさみたいなものもありました」と心の内を明かす。笠原さんに面接で落とされたりしたが、3回目の挑戦でやっと採用された。

 10年4月、サービス開始から6年2カ月で、ミクシィの会員数は2000万人を超えた。当時のネット利用者数は9462万人で、5人に1人が使っていた計算だ。そんな破竹の勢いが続いていれば、米国の大手IT企業の頭文字を取り、成功を収めた象徴とされる「GAFA(ガーファ)」になるのも夢ではなかったかもしれない。だが「黒船」が迫っていた。

FB、ツイッター、LINEが…

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