白鵬引退へ ライバル不在の孤独 「東京五輪まで現役」父との約束
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大相撲で一時代を築いた横綱・白鵬(36)が、ついに土俵を下りることになった。幕内で優勝45回、通算1093勝……。他を寄せ付けない圧倒的な記録を樹立した大横綱が、14年間務めた「綱の責任」に区切りをつけた背景を探った。
進退を懸けて出場した7月の名古屋場所を、白鵬は最多16回目の全勝優勝で締めくくった。復活を印象づけたようにも見えるが、ある親方は「『もう相撲を取れない』と言っていたのを聞いた」と明かす。
確かに白星こそ積み上げたが、内容は苦しかった。新小結・明生を土俵際での掛け投げで逆転したり、大関・正代相手に徳俵の前まで下がって仕切ったりして「横綱相撲」からはほど遠い、なりふり構わない取り口が目立った。すでに本来の相撲を取れる体ではなかったのだ。20年7月場所で右膝半月板損傷などと診断されて途中休場すると、そこから6場所連続で休場した。名古屋場所は膝をかばいながらの相撲だった。
唯一番付が落ちることのない横綱は、最高位にふさわしい成績を残せなければ引退を余儀なくされる。心身が充実していなければ責任を果たすのは難しい。
白鵬は以前、「大鵬関の32回優勝を超えてから、夢と目標を失う怖さがあった」と語ったことがある。2015年の初場所で、大鵬の歴代最多優勝回数(当時)を上回る33回目の優勝を手にした後、心の張りを失いかけていた。
東京オリンピックの開会式で土俵入りを披露することを願い、冗談交じりに「東京五輪が終わったら引退するから」と口にするようにもなった。1968年メキシコ五輪のレスリングで銀メダルを獲得し、モンゴル初の五輪メダリストとなった父ジジド・ムンフバトさん(故人)は64年の東京五輪に出場した。父への畏敬(いけい)の念もあり五輪に関わる思いを強くした白鵬は「東京五輪まで現役」と父と約束した。
43回目の幕内優勝を果たした19年の九州場所。千秋楽から一夜明けた会見の場で、…
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