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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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「時を巻き戻したい」帰郷巡り家族バラバラ 国の責任問う原発避難者

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避難先の愛媛県の田んぼで肥料をまく渡部寛志さん=同県松前町で2021年9月27日午後4時9分、斉藤朋恵撮影
避難先の愛媛県の田んぼで肥料をまく渡部寛志さん=同県松前町で2021年9月27日午後4時9分、斉藤朋恵撮影

 「時を巻き戻したい」。そう願いながら過ごしてきた10年だった。東京電力福島第1原発事故で福島県から愛媛県に避難した住民ら23人が国と東電に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決。高松高裁は29日、国と東電双方の責任を認め、住民側への支払いを命じた。原告の渡部寛志さん(42)は避難生活で家族がばらばらになり、古里での夢も果たせないままだ。「どうして事故が起きたら止めようもない物を造ったのか」。やりきれない思いは今も消えない。

 東日本大震災に伴う原発事故が起きた2011年3月。自宅のある福島県南相馬市小高区は原発から十数キロで、避難指示が出た。農業を営む渡部さんは妻と幼い娘2人を連れて、大学時代を過ごした愛媛県へ避難。同県内で稲作やミカン作りを始めた。

 翌年には長男が生まれた。ミカンを収穫するたびにトラックに積み、福島に残る親戚や知人を訪ねた。「突然離れてしまった人たちとのつながりを保ちたい」との思いだった。しかし、家族の間で溝が広がっていた。福島と愛媛を行き来しながら農業を続けようと考えた渡部さんは、全面的な帰郷を求める妻と意見が合わずに離婚。妻は長男と福島に戻った。長女は祖父母と、渡部さんは次女と暮らすようになり、3人の子どもが離れ離…

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