教育の危機、声上げねば 大阪市長に直言、校長の覚悟 過度な競争、子ども成長後回し

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シンポジウムで提言書を書いた経緯を語る久保敬校長=同市生野区で2021年8月22日午後2時2分、野田樹撮影 拡大
シンポジウムで提言書を書いた経緯を語る久保敬校長=同市生野区で2021年8月22日午後2時2分、野田樹撮影

 緊急事態宣言下で大阪市が急きょ導入したオンライン学習を巡り、「学校現場が混乱した」と松井一郎市長に実名で提言した市立小の現職校長が8月に市教委から処分を受けた。その主張は単なる批判にとどまらず、競争原理が幅を利かせる公教育に疑問を投げかける。提言に対しては共感と批判が入り交じり、反響は今も続く。一体何が校長を異例の直言へと突き動かしたのか。

 「豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために」。そんなタイトルの提言書を市立木川南小(淀川区)の久保敬校長(59)が書いたのは、オンライン学習への不満が発端だった。オンライン学習は松井市長が4月に突如、導入する考えを表明。約1カ月間、対面授業との併用で行われた。しかし、通信環境の整備などが不十分で、教育現場は準備で大きな負担を強いられた。

 久保校長は市教委や市ホームページの「市民の声」を通じ、「時期尚早」と訴えた。しかし、見直される気配はなく、「もっと上に言うしかないと思った」。5月17日、松井市長と山本晋次教育長宛てに提言書を郵送。知人を介して全文がSNS(ネット交流サービス)で公開されると、一気に拡散した。

児童たちがいない教室で、オンライン授業をする大阪市立本田小学校の教諭=大阪市西区で2021年4月26日午前9時7分、猪飼健史撮影(画像の一部を加工しています) 拡大
児童たちがいない教室で、オンライン授業をする大阪市立本田小学校の教諭=大阪市西区で2021年4月26日午前9時7分、猪飼健史撮影(画像の一部を加工しています)

 提言は、公教育に対する危機意識や問題提起に多くが割かれている。全国学力・学習状況調査や人事評価制度を例に挙げ、「教職員は子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、疲弊していく」と指摘。競争志向を強める市の教育方針を「グローバル経済を支える人材という『商品』を作り出す工場」と問題視し、子どもたちに生き抜く力を過剰に求める社会を「間違っているのではないか」と問いかける。

 こうした問題意識の背景には、自身の目に映る学校現場の厳しい実情がある。教員は子どもの登校前に出勤し、午後3時過ぎまで授業をすると、終業までに残された時間は1~2時間程度。残業や仕事を自宅に持ち帰ることが以前から常態化している。

 2010年の教頭就任後は、年間1000通以上届く市教委からの指示文書の処理に追われた。部下の教職員に割り振る作業も多くなった。時間をかけて子どもたちと信頼関係を築けば、ちょっとした心身の異変でも把握できるが、「教員は子どもと話す時間を思うように取れず、学校が重苦しい雰囲気になっている」と懸念する。

 また、1985年に新任で配属された市立小は市が定める同和教育推進校で、そこで人権教育に携わった。「一人一人をものさしで比べたら絶対にあかん」という初心を思い返し、声を上げない自分自身に怒りが湧いた。「公教育はすべてを受け入れるから公教育なのに、今は一部の子どもをはじき出しても構わない教育になりつつある」と危機感を強めている。

 提言書を問題視した市教委は、8月20日付で文書訓告の処分とした。文書を拡散させ、独自の見解で市教委の対応に懸念を生じさせたとして、信用失墜行為に当たると判断した。

 久保校長は、拡散させたことは軽率だったと認めつつ、「おかしいと思いながら声を上げなかったら、子どもや保護者、地域の人たちを裏切ることになる」と胸中を明かした。

市側「社会で生きるため」

 大阪の学校教育の競争主義は「維新政権」下で加速した。大阪市は、橋下徹市長時代の2012年、教育行政への政治的関与を強める「市教育行政基本条例」を制定。前文で「グローバル化が進む国際社会において力強く生き抜くことができる人間としてはぐくむこと」を教職員に求めている。

 市の教育方針とは対極的な提言に対し、市側の反応は辛辣(しんらつ)だ。市の教育政策に関与する市特別顧問の大森不二雄・元市教育委員長(東北大教授)は6月の市教委の会議で、「学力調査やテストの成績が、子どもたちの将来に意味がないかのような意見を公然と述べているが暴論だ」と指摘。松井市長は「子どもたちは競争する社会で生き抜かなければならない。(久保校長は)社会人として外に出たことがあるんかな」と批判。条例は民主的な手続きで制定されたと強調し、「選挙に打って出て、条例を変えればいい」と持論を展開した。

 一方、共感も広がっている。8月22日、大阪市生野区で市の学校教育をテーマとしたシンポジウムが開かれ、久保校長が講演者として招かれた。学校に行けない子どもを受け入れる民間団体「子どもの居場所Yu―Ya」(同区)が企画し、約110人がオンライン講演に耳を傾けた。「Yu―Ya」を運営する奥田佳代さん(44)は「保護者としておかしいと感じていたことを久保先生が訴えてくれた」と話す。

 久保校長の元には講演や対談の依頼が相次ぐ。「声を上げたからには、この議論を絶やしたくない。そうやと思ってくれる人が一人でも増えてほしい」と願っている。【野田樹】


久保敬校長の「大阪市教育行政への提言」(要旨)

豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために

 公教育はどうあるべきか真剣に考える時が来ている。学校はグローバル経済を支える人材という「商品」を作り出す工場と化し、子どもたちはテストによって選別される「競争」にさらされる。教職員は何のためか分からない仕事に追われ、疲弊していく。

 3回目の緊急事態宣言発出に伴い、市長が全小中学校でオンライン授業を行うとしたことを発端に、お粗末な状況が露呈した。学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担が掛かっている。子どもの安全・安心も学ぶ権利も保障されない状況を作り出し、胸をかきむしられる思いである。

 社会の課題のしわ寄せが、どんどん子どもや学校に襲いかかっている。過度な競争に打ち勝った者だけが「がんばった人間」と評価されるが、誰もが幸せに生きる権利を持っている。「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中でなくてはならない。

 テストの1、2点を追い求めるのではなく、子どもたちの10年先を見据え、今の時間を共に過ごしたい。間違いなく、教職員や学校は疲弊し、教育の質が低下している。

 「競争」ではなく「協働」の社会でなければ、持続可能な社会にはならない。

 コロナ禍で子どもたちの安心・安全と学びをどのように保障するかは難しい問題だ。ICT機器を使った学習も教育手段として有効だろう。しかし、子どもの「いのち」(人権)に光が当たっていなければ、結局は子どもを追い詰めることになる。今回のオンライン授業の現場の混乱は、大人の都合による勝手な判断が原因である。

 根本的な教育のあり方や、政治や社会のあり方を見直し、子どもたちの未来に明るい光を見いだしたい。これはまさしく大人の問題だ。政治的権力を持つ人にはその大きな責任が課されている。

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