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宝塚歌劇退団・轟悠の語録 舞台の端から36年で切り開いた新境地

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轟悠のラストデーとなった宝塚大劇場。星組公演が上演中だった=兵庫県宝塚市で2021年10月1日午後2時21分、水津聡子撮影
轟悠のラストデーとなった宝塚大劇場。星組公演が上演中だった=兵庫県宝塚市で2021年10月1日午後2時21分、水津聡子撮影

 宝塚歌劇団の特別顧問で専科の轟悠(とどろき・ゆう)が1日、36年間の男役人生に幕を下ろした。ホームページに「皆さま 笑顔の花束を 今までありがとうございました」という直筆色紙とメッセージが掲載されたものの、「静かに退団させてほしい」という本人の希望通り、サヨナラショーも開かれず、ひっそりとしたラストデー。記者が気持ちの整理をつけようと「轟悠」と検索すると、Google(グーグル)で約100万件、毎日新聞の社内データベースでは366件もヒットした。語録にまとめていくと、入団直後は「舞台の端にしか立てなかった」という意外な記述があり、芸に真摯(しんし)に向き合い、努力を重ねた姿が刻まれていた。

「1人でも2人でも顔を覚えてもらう」

 幼いころは獣医かパイロットになりたかったという轟。テレビで宝塚を見て受験を決意し、中学卒業後に宝塚音楽学校に入った。歌もダンスも習ったことがなく、在学中は苦労したと語っている。1985年、71期生として「愛あれば命は永遠(とわ)に」で初舞台。芸名は出身地・熊本の名所「栴檀(せんだん)轟の滝」から付けた。

 97年の記事には「入団直後は舞台の端にしか立てなかったが、『この劇場の中で、1人でも2人でもいいから私の顔を覚えて帰ってもらおう』と思いながら踊っていた」との記載があった。記者は、端正な顔立ちと確かな演技力で早くから注目を集めていたと思っていたので意外だった…

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