私がNHKをやめてやりたいこと 旧来メディア、危機こそチャンス

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質問に答える「スローニュース」のシニアコンテンツプロデューサーに就任した熊田安伸さん=東京都渋谷区で2021年9月17日、宮武祐希撮影
質問に答える「スローニュース」のシニアコンテンツプロデューサーに就任した熊田安伸さん=東京都渋谷区で2021年9月17日、宮武祐希撮影

 「マスゴミ」という言葉が示すように、既存のメディアの価値を否定するような風潮が漂っている。実際、インターネットの隆盛と共に新聞の発行部数は年々落ち込み、若者を中心にテレビ離れも進む。そうした中、「逆に自分たちを進化させるチャンスが来ていると思えばいいんです」と言う人がいる。NHKで“NHKらしくない”試みを次々と実行して話題を呼び、この夏、オンラインメディアの「SlowNews(スローニュース)」に移った熊田安伸さん(54)だ。【金志尚/デジタル報道センター】

NHKのウェブコンテンツの“キーマン”

 9月中旬。東京都渋谷区のビルに入居する同社のオフィスを訪ねると、Tシャツ姿の熊田さんが出迎えてくれた。爽やかな笑顔が印象的だ。シャツの胸の部分に「SlowNews」の文字が躍る。

 スローニュースは、ノンフィクションや、隠れた事実を発掘する「調査報道」に特化したオンラインメディアだ。スマートフォン向けアプリで知られる「SmartNews(スマートニュース)」の子会社として、2019年2月に設立。調査報道に取り組む個人や団体を支援するため、取材費を提供したり、コンテンツの配信に協力したりしている。今年2月からは、外部ライターが書いたルポや300冊を超える既存のノンフィクション書籍などを月額1650円で読める、サブスクリプション(定額制)サービスを始めた。収益を支援に回すことで、調査報道を継続的に生み出す「エコシステム」(持続可能な循環)の構築を目指している。

 熊田さんは7月末にNHKを早期退職し、8月1日付でスローニュースのシニアコンテンツプロデューサーに就いた。詳しくは後述するが、NHKでは4年前からネットワーク報道部という部署で専任部長を務め、ウェブコンテンツの強化に携わっていた。それが一段落したタイミングで、以前から懇意にしていた社長の瀬尾傑さんからのオファーを受けることにしたという。就任後は記事の編集はもちろん、ライターの開拓、他メディアとの連携や調整といった仕事を手掛けている。

残りの人生、調査報道のために

 「やりたいこと、やるべきことっていっぱいあるんだけど、人間って全部はできないじゃないですか。僕ぐらいの年になると、『断捨離』ではないですが、自分がやりたいことを取捨選択していかないといけないんです。僕もNHKではそれなりの立場になっていたので、いろいろ雑務も抱えるようになっていました。わがままかもしれないけど、自分が一番やりたいことに、残りの人生を寄せていきたいという思いがありました」

 早期退職した理由をこう語る熊田さん。NHK記者として過ごした約30年間、最も力を入れたのが調査報道だった。税金や政治資金といった「公金」を巡る問題を追いかけ、東日本大震災の復興予算など社会的インパクトの大きい問題にも切り込んできた。これまで蓄積した豊富な取材ノウハウを広く伝えることも、スローニュースでの大切な仕事だ。既に、行政などが公開しているオープンデータの活用術を紹介する「調査報道講座」という連載記事をサイト上で始めている。

自分たちの報道が「届いていない」?

 とはいえ、調査報道を含めたジャーナリズムの状況は決して芳しくはない。どう捉えているのだろうか。

 「テレビや新聞といった旧来型メディアのアナウンス力って、今も間違いなくあります。それは誰だって決して無視できるものではありません」。そう前置きした上で、熊田さんは次のように語った。

 「だけど、最近は『何でメディアは○○を報じないんだ』みたいなことをよく言われますよね。NHKにしても毎日新聞にしても、どこでもそうだと思います。でも、『やっていない』と言われていることって、実は大抵やっています。大抵は報道しているのに、それがまるでやっていないように思われている実態がある。良質な調査報道だってたくさんやっているのに、それが知られていない、届いていないと僕自身感じてきました」

 自分の意見に合う情報ばかりに囲まれる「フィルターバブル」や、似たような思考を持つ人が集って共鳴して先鋭化する「エコーチェンバー」。そんな言葉が示すように、特にネットやスマホが普及した今、人々は自分が見たい情報しか見ない傾向をより強めている。情報を単に出すだけでは相手に伝わらず、埋没してしまう。「伝える」と「届く」の間に大きな隔たりがあるのは、私(記者)自身も感じていることだ。そのもやもやを熊田さんに聞いた。

 「『気付かない方が悪い』とか、『俺たちは良い報道をしているんだ』という言い方を、旧来のメディアは割としてきたと思うんですよね。確かにかつてなら、いつか誰かが価値に気付いてくれるとか、あるいは歴史が認めてくれるんだと、言っていればよかったかもしれません。でも今は、勝手に気付いてもらう、なんてことはあり得ません。要するに、どうやったら届くのか、というところまで考えて実行し、初めて今のメディアはちゃんと報道していることになるということです。それをしないのは責任放棄と言っていい。考え方のコペルニクス的転回というか、これまでの姿勢をガラッと変えないといけないと思います」

“NHKらしくない”試み 「一人称」のNG解禁

 こうした考えのもと、熊田さんはNHKで新たな発信の構築に関わった。17年に新設されたネットワーク報道部のかじ取りを任されると、“NHKらしくない”試みを形にしていったのだ。この部署は地方ネットワーク、デジタル部門、調査報道の三つを掛け合わせたのが特徴で、NHKを公共放送からネットも活用した「公共メディア」に変えていくための実験場的な意味合いもあった。そこでキーワードの一つになったのが、「一人称」である。

 例えば昨年12月に始まったウェブコンテンツの「NHK取材ノート」(https://note.com/nhk_syuzai/)。誰に会い、何をどのように取材したのか。正に取材ノートを広げるように、記者やディレクター、カメラマンらが自らの視点で取材のプロセスや方法、その結果分かったことを長文の記事で振り返る取り組みだ。テーマは「政治とカネ」や東日本大震災、ネット炎上の問題などさまざま。例えば今年3月にアップされた「僕らはこうして“不正”を見つけた」では、島根県議が不正に政務活動費を得ていたこと…

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