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独立から13年 人口193万のコソボで柔道が躍進する理由は

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東京オリンピック柔道女子48キロ級決勝で、日本の渡名喜風南選手(左)と対戦するコソボのディストリア・クラスニチ選手=日本武道館で2021年7月24日、宮武祐希撮影
東京オリンピック柔道女子48キロ級決勝で、日本の渡名喜風南選手(左)と対戦するコソボのディストリア・クラスニチ選手=日本武道館で2021年7月24日、宮武祐希撮影

 バルカン半島に位置し、2008年に独立を宣言した旧ユーゴスラビアのコソボが、オリンピックの柔道で快進撃を続けている。初参加した16年のリオデジャネイロ五輪に続き、今年の東京五輪でも女子が頂点に輝いた。人口は日本のわずか1・5%、岐阜県ほどの大きさの国で今、何が起きているのか。

 「小さなグループで柔道場を始め、選手を育ててくれたドリトン・クカ氏のお陰です」

 コソボが誇るものとして柔道を取り上げた在日コソボ大使館のアルバー・メフメティ臨時代理大使(31)。躍進する理由を尋ねると、代表コーチのクカ氏(50)の名前を挙げた。金メダリスト3人を育てた「コソボの柔道の父」ともいえる存在だ。

 クカ氏は1971年、当時のユーゴを構成していたセルビア共和国のコソボ自治州西部ペヤに生まれた。ユーゴ国内のジュニア選手権を2連覇し、国の代表として92年のバルセロナ五輪での活躍が期待されたが、各共和国が分離独立を争い91年に始まったユーゴ紛争の影響で、五輪出場の機会を失った。クカ氏は「当時の政治の影響で、91年に柔道をやめた」と国際柔道連盟が公開しているインタビューで語っている。

紛争で諦めた夢を教え子に託し

 欧州メディアによると、当時のセルビア共和国のミロシェビッチ大統領が抑圧をかけたことから、コソボ側が選手の五輪への派遣を取りやめたという。メフメティ氏は「多くのコソボ人がセルビアの警察に逮捕されるなど、政権からのプレッシャーが強まっていた時期。とても五輪に出られるような状況ではなかったはずだ」と話す。

 旧ユーゴではセルビアとコソボ住民の衝突が続き、99年には北大西洋条約機構(NATO)軍がセルビア側に対する空爆を敢行。コソボからセルビア軍を撤退させて、現地は国連の暫定統治下に入った。

 国中が紛争による荒廃から立ち直ろうとする中、クカ氏も動いた。古里ペヤに自前の柔道場を構え、子どもたちを集めて柔道を教え始めた。「紛争の後、子どもたちを育て、コソボにメダルを取れるような選手がいることを世界に示したいと思うようになった」。クカ氏はAFP通信の取材にこう答えている。

 コソボは米国などの支持を得て、08年にセルビアからの独立を宣言。14年に国際オリンピック委員会(IOC)への加盟が承認され、16年のリオ五輪に出場すると、さっそくクカ氏の道場に8歳から通っていた柔道女子52キロ級マイリンダ・ケルメンディ選手が金メダルを獲得した。「自分、コーチ、国にとってとても幸せな瞬間。夢がかなったのよ」と語り、表彰式では涙を何度もぬぐったケルメンディ選手。

 続く東京五輪でも、…

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