「感動ポルノ」が独り歩き? 「バリバラ」プロデューサーに聞く

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今年夏に生放送された「2.4時間テレビ 誰ひとり取り残されないSDGs」より=NHK提供
今年夏に生放送された「2.4時間テレビ 誰ひとり取り残されないSDGs」より=NHK提供

 障害者の「お笑い」に挑み、「感動ポルノ」という言葉を一夜にしてはやらせたバリアフリーなバラエティー番組、NHK・Eテレの「バリバラ」(木曜午後8時)が今年で10年目を迎えた。「多様性」がもてはやされる一方、「差別」という言葉が疎まれ、「マイノリティー特権」なんて言葉まで現れる今だから、番組チーフプロデューサー、森下光泰さん(49)に「バリバラ」の目指すところを聞いてみた。前編・後編の2回でお届けします。【小国綾子/オピニオングループ】

NHK・Eテレ 森下光泰プロデューサー

「笑い」を武器に

 ――森下さんと「バリバラ」との出合いを教えてください。

 ◆番組が始まったのは10年前。僕が「バリバラ」に関わり始めたのは、2015年からです。番組が月に1回の企画で始まった11年、僕は原発事故の取材をしていたのですが、東京の居酒屋でお酒を飲んでいたら、隣の店の料理人のお兄さんが「なんかすごいものを見てしまった!」と大騒ぎしながらやってきた。

 「障害者が『お笑い』をやっている。面白いんだけど、笑っていいんだろうか?」とものすごく興奮している。彼が見ていた番組というのが「バリバラ」でした。

 視聴者にここまで深く刺さる番組はいいなあ、と思ったことをよく覚えています。

 ――「笑い」は「バリバラ」の一つの武器ですね。障害者が自分の障害特性をネタにするお笑いコーナー「SHOW-1グランプリ」には度肝を抜かれました。

 ◆「バリバラ」は12年、「障害者のための情報バラエティー」としてスタートしました。「笑い」を武器に、世の中のバリアーをなくすことを目的に、障害のある当事者が主体となって番組を作ろう、と。

 「笑い」を武器にするというのは、障害者などマイノリティーが「真面目でけなげに努力する存在」としてばかり描かれてきたのに対して、当たり前のことですが、一人ひとりみんな違っていて、さまざまな面を持っているということを伝える意味もあったと思います。

 人を笑わせるのが大好きな障害者もいるのに、健常者は「障害者を笑っていいの?」とすわりの悪さを感じてしまう。番組に「露悪的だ」という批判が時折届くのもそのためでしょう。でもね、この「すわりの悪さ」こそが気づきにつながるのではないでしょうか。障害者を笑えば差別かもしれない。ならば障害者と一緒に笑えばいいじゃないですか。

 すわりの悪さを感じて一緒に笑えないのは、一緒に生きていない、一緒に生きるのが当たり前の社会になってないからじゃないのか、と思うのです。

自分の物差しで測らない

 ――一緒に生きられていないのはなぜか……ですか。

 ◆障害のある子どもたちの多くが特別支援学校で学び、大人になっても実家や施設、病院で暮らすことが多い。子ども時代から、障害のある子どもも、ない子どもも一緒に遊び、学び、大人になってもその延長で、地域で一緒に暮らしていく……とはなっていないことに、まず気づいてほしい。そうすれば、想像だけで障害者のことを語り、限られた情報だけでステレオタイプを作りあげているかもしれない、と気づけるでしょう。

 「バリバラ」制作にあたって大切にしているのは「自分の『物差し』で測らないこと」です。制作陣の話し合いでも、「常にマイノリティー当事者の声に耳を傾けるところからスタートしよう」と確認しています。

 自分たちが使いやすいようにデザインされた社会では、マイノリティーにとっての「バリアー」も水や空気のようなもの。当事者に聞かなければわからないのです。番組作りの出発点は、原則として、マイノリティー当事者の本音です。「バリバラ」がほかのテレビ番組と違うのは、この1点に尽きると言ってもいい。それは僕たちが「バリバラ」に関わるうえで一番大事にしてきたこと。「ぜったい当事者主義」です。

「感動ポルノ」すごかったインパクト

 ――「バリバラ」を一気に有名にしたのが、「感動ポルノ」という言葉でした。あの時のインパクトはすごかったです。

 ◆16年8月28日の生放送「検証!『障害者×感動』の方程式」で紹介したオーストラリア人ジャーナリスト、ステラ・ヤングさんの言葉ですね。

 ステラさんは、「障害者が健常者に感動を与えるためのモノとして扱われている、障害者を健常者のための消費の対象にしている」と指摘し、それを「感動ポルノ(inspiration porn)」と名付けた人です。障害者が頑張る姿は、多くの人を感動させ、「自分の人生は最悪だけど、下には下がいる。彼らよりマシだ」と思わせることで鼓舞し、「あんな大変な人生を送っている人もいるんだ」とやる気を引き出すために使われてきた、というスピーチでした。

 僕は、障害者などのマイノリティーが感動につながる物語の中で描かれること自体を否定はしません。これまで、「自分とは縁遠い」と思ってきた視聴者に関心をもってもらえる側面もあるからです。ただマイノリティーが「障害を乗り越えて頑張る姿」を繰り返し描くことは、二つの意味で問題があると思っています。

 一つは、「マイノリティー(障害者)とは、しんどくても文句も言わず、けなげに壁を乗り越えようとする存在」というステレオタイプを生み出してしまいかねないこと。もう一つは、社会の側にあるはずの「バリアー」が、マイノリティーが頑張って乗り越えなければいけないもの、とされてしまいかねないこと。

 でも最近では、「感動ポルノ」の言葉だけが独り歩きしてしまっているような気がすることも……。

 ――どうい…

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