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毎日新聞朝刊1面の看板コラム「余録」。▲で段落を区切り、日々の出来事・ニュースを多彩に切り取ります。

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「一度小さん師匠のところへ行きましょう。きっと師匠なら…

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 「一度小(こ)さん師匠のところへ行きましょう。きっと師匠なら止め方を知っているでしょう」。大学に進まず噺(はなし)家(か)になるという若き柳家小三治(やなぎや・こさんじ)さんは、こんな知人の助言を聞いた父親と先代の小さんを訪ねた▲中学の時に「長屋の花見」で落語の面白さに目覚め、高校時代はラジオの「しろうと寄席」で15週勝ち抜いた当人だった。この時小さんは父親の意を酌(く)んで、これからは教養のある笑いが求められるから大学を出てからにしろと勧めた▲「冗談言っちゃいけねえ。世の中進めば進むほど、ばかばかしい笑いってえものを人が求めるようになるんだ。教養ある笑いなんて面白くねえや」。後年、小さんはこの時の少年・小三治の言葉を、こんなふうに人に吹(ふい)聴(ちょう)したという▲言葉遣いは落語風冗談でも、小さんがうれしそうに語っていたところを見ると似たことは言ったのだろう。その師匠の「人(登場人物)の了(りょう)見(けん)になれ」という教えを座右(ざゆう)の銘(めい)とし、古典落語の正統を守り抜いてきた小三治さんだった▲「人がいつもと違うキャラクター、違う噺になった時がとてもうれしい」。極めた「了見」がおのずと動き出す名人の境地をうかがわせる感慨である。そして噺家冥(みょう)利(り)に尽きるのは、落語が初めての人が「面白い」と言った時だという▲ひょうひょうとした語り口と絶妙の間(ま)で、えもいわれぬおかしみを醸(かも)し出し、「存在そのものが落語」といわれた小三治さんである。その「存在」がなければ失われていた話芸の富をこの世に残して旅立った。

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