エルサレムにチウネ・スギハラ広場 ユダヤ人救った外交官たたえ

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「チウネ・スギハラ広場」のプレートを持つ杉原伸生さん(左から2人目)ら=エルサレムで2021年10月11日、三木幸治撮影 拡大
「チウネ・スギハラ広場」のプレートを持つ杉原伸生さん(左から2人目)ら=エルサレムで2021年10月11日、三木幸治撮影

 第二次大戦中に多数のユダヤ人を「命のビザ(査証)」で救った外交官、杉原千畝(ちうね)(1900~86年)の功績をたたえるため、エルサレム市は市西部の広場を「チウネ・スギハラ広場」と命名し、11日に記念式典を開いた。杉原の名前を冠した場所はイスラエル国内に数カ所あるが、エルサレムでは初めて。

 ビザのおかげで、ナチス・ドイツの迫害を逃れた「サバイバー(生存者)」の息子であるアブラム・シメリングさん(65)らの要望を受け、市が決定した。

エルサレム市の「チウネ・スギハラ広場」=2021年10月11日、三木幸治撮影 拡大
エルサレム市の「チウネ・スギハラ広場」=2021年10月11日、三木幸治撮影

 式典には杉原の四男、伸生(のぶき)さん(72)=ベルギー在住=やサバイバーらが出席。伸生さんは「父は生前、(ビザ発給について)自分ができることをしただけと語っていた。サバイバーの子孫が今、数万人いると知ったら驚くだろう」と話し、「エルサレムに父の名前が残ることに感動している」と語った。

 杉原からビザを受け取ったイスラエル中部モディーン在住のベール・ショールさん(94)は、当時欧州に数千人いた外交官のうち、ユダヤ人にビザを出したのは少数だったと強調。「杉原氏の偉大さは、その行動が示している」と話した。

 杉原はリトアニアの駐カウナス領事代理だった40年夏、日本政府の方針に反してユダヤ人に2000通以上の日本通過ビザを発給した。多くのユダヤ人はリトアニアからソ連(当時)を横断し、日本に到着。その後、米国やオーストラリアなどを経由してイスラエルの地に渡った。【エルサレム三木幸治】

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