連載

沖縄、台湾をつむぐ

琉球王に仕えた名家・川平家。琉球処分から日本統治下の台湾、戦後の沖縄へ。激動の時代をたどり、沖縄と台湾を見つめます。

連載一覧

沖縄、台湾をつむぐ

川平家物語/27 級友の引き揚げ、次々見送り

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷
高橋伸也さん(前列右から2人目)の引き揚げを前に撮った写真。川平朝清さん(同列左端)や蕭柳青さん(後列左端)、黄丙丁さん(同列右端)の姿も=川平朝清さん提供
高橋伸也さん(前列右から2人目)の引き揚げを前に撮った写真。川平朝清さん(同列左端)や蕭柳青さん(後列左端)、黄丙丁さん(同列右端)の姿も=川平朝清さん提供

 1945年の敗戦後、中華民国に接収された台湾の人口は約650万人。このうち日本人は約32万人で、「日僑(にっきょう)」と呼ばれるようになる。華僑になぞらえた中華民国側の言い方だった。

 敗戦直後は、台湾に残りたいと考える日本人が多かった。戦争末期にソ連軍が満州(現中国東北部)に侵攻するなど、他の外地は混乱を極めたが、台湾の情勢は比較的穏やかで、台湾にいた日本人たちは、日本統治時代のころと同じように暮らせるのではないかという淡い期待を抱いた。多くの人が日本に生活基盤はなく、極度の食糧不足と就職難にある日本に行っても生活苦になるのは目に見えていたからだ。

 だが台湾は急速なインフレに陥り、日本人の失業者が増え、生活は困窮した。さらに日本人への暴行事件が起こるなど治安が悪化し、大半が引き揚げ希望に転じた。中華民国側は、元官吏や学者ら留用者約2万8000人を除き、すべての日本人に引き揚げを命じた。

この記事は有料記事です。

残り954文字(全文1353文字)

あわせて読みたい

この記事の特集・連載
すべて見る

注目の特集