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甲子園に2度目の別れ 「延長十八回」元星稜エースの記憶と信念

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甲子園大会の審判を今夏限りで勇退した堅田外司昭さん=大阪市北区で2021年9月21日、菱田諭士撮影
甲子園大会の審判を今夏限りで勇退した堅田外司昭さん=大阪市北区で2021年9月21日、菱田諭士撮影

 今夏の第103回全国高校野球選手権大会を最後に、一人の審判が甲子園に2度目の別れを告げた。かつては聖地のマウンドに上がり、伝説の一戦を投げ抜いた高校球児。今なお語り継がれる激戦の記憶と審判生活で貫いた信念、そして後輩球児たちに伝えたいものとは。

 ジャケット姿で背筋がピンと伸び、口調も明朗快活。2021年9月下旬、石川・星稜の元エース・堅田外司昭(かただとしあき)さん(60)と大阪市内で向き合った。高校野球担当の私はグラウンドでジャッジする様子は何度も見てきたが、言葉を交わすのは初めて。実直な人柄は、審判のお手本のように思えた。

 取材の約3週間前、智弁和歌山が智弁学園(奈良)を破った決勝で、堅田さんは一塁塁審として、最後の甲子園に立った。「大会が始まる前から“卒業”は分かっていた。試合中はプレーに集中していた」。ゲームセットの後も感慨にふけることはなかったそうだが、試合が終盤に近づくと、閉会式の出番を待つブラスバンドの練習する音が耳に入ったという。「今までは応援の声にかき消されて聞こえてこなかったのでしょう。今春のセンバツもそうだったが、観客が少ないのでさみしかった。選手も残念だったと思う」。新型コロナウイルスの影響で観客数を制限せざるを得ない現状に、選手の思いを推し量った。

「最高試合」に泣いた悲運の左腕

 堅田さんは石川県出身。地元の中学3年だった1976年の夏に、2年生エース小松辰雄(元プロ野球・中日)を擁し、甲子園で県勢初の4強入りを果たしたのが星稜だった。活躍に憧れて翌春、星稜に進み、甲子園では1年生の夏からベンチ入り。背番号1で春夏連続、自身3度目となる出場を果たした79年夏に、高校野球史に残る一戦を迎えることになった。

 8月16日の3回戦。星稜は同年センバツの覇者・箕島(和歌山)と対戦し、堅田さんは先発した。…

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