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ソ連崩壊30年

東西冷戦で米国と覇権を競ったソ連は1991年12月に崩壊。連邦解体から30年の足取りや現状をリポートします。

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ソ連崩壊30年=回答・五十嵐朋子

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 1991年12月25日にソビエト連邦(れんぽう)(ソ連)が崩壊(ほうかい)してから、来月で30年になります。ソ連は富の平等な分配を目指し、世界で初めて誕生した社会主義(しゃかいしゅぎ)国であり、第二次世界大戦後の東西冷戦(とうざいれいせん)では米国と激しく対立しました。世界に大きな衝撃を与えたソ連の崩壊や、継承(けいしょう)国となったロシアの歩みを振り返ります。

 ◆どんな国だったの?

私有財産を禁じた社会主義

 なるほドリ ソ連ってどんな国だったの?

 記者 前身のロシアは皇帝(こうてい)が治める国でした。1914年に始まった第一次世界大戦に参戦しましたが、国内の食糧(しょくりょう)不足などがひどくなり、国民の不満を抑えられず、17年に「ロシア革命」が起こりました。2度に及ぶ革命の末に、社会主義政党のボリシェビキが権力を握り、激しい内戦を経て、22年にソ連を誕生させたのです。30年代には指導者のスターリンが何百万人も処刑する恐怖政治を敷きました。それでも約40年続いた冷戦時代は社会主義陣営を率いて、米国と覇権(はけん)を競い、超大国としての存在感を誇っていたのです。

 Q そこまでの大国がなぜ滅んだの?

 A 計画経済を取り入れて、個人が財産を持つことを禁じたことから、人々は勤労(きんろう)意欲を持ちづらく、経済は行き詰まりました。平等な社会の建設を唱えながらも、ボリシェビキの流れを引く共産党(きょうさんとう)が独裁を敷き、社会の活力が失われていました。そのため85年に共産党書記長(しょきちょう)に就いたゴルバチョフ氏は、ペレストロイカと呼ばれる政治や経済の改革や、グラスノスチという情報公開に取り組んだのです。対立を続けていた西側諸国との緊張緩和(かんわ)も進め、89年に冷戦の終結を宣言しました。

 それでも崩れかかった国家を立て直せませんでした。91年8月には、共産党首脳部(しゅのうぶ)などによるクーデターの試みを許してしまいます。試みは失敗に終わりましたが、15の共和国から成り立っていた連邦国家のソ連は急速に求心力を失いました。その後、共和国が次々と主権を持っていると宣言した結果、ソ連大統領に就いていたゴルバチョフ氏は同年12月25日に辞任を表明し、70年近くの歴史を誇ったソ連が消滅したのです。

 Q その後は?

 A 15の共和国は独立し、ロシアがソ連の国際条約の義務などを引き継ぎました。ロシアが中心となり、独立国家共同体(CIS)をつくり、緩い連携を残そうとしました。ただし、ロシアと武力衝突(しょうとつ)したジョージア(グルジア)が離脱し、ウクライナも事実上参加しておらず、枠組みは形骸化(けいがいか)しています。

 ◆プーチン大統領、任期は?

改憲で36年・83歳まで可能に

 Q 独立した後のロシアはどうなったの?

 A 初代ロシア大統領のエリツィン氏は、ソ連を解体させた立役者でしたが、それまで固定されていた価格をいきなり自由化してしまい、深刻な物価高騰(こうとう)を招きました。また南部にあるチェチェン共和国がロシアから独立を試みたことから戦闘が始まり、社会の混乱も続いたのです。

 このような中で登場したのが、2000年に大統領に就任したプーチン氏です。政治や経済に介入していた新興財閥(しんこうざいばつ)の力をそぎ、政府の権威(けんい)回復に努めました。またロシアの主要な輸出品である原油価格が上昇したこともあり、経済は急速に上向きました。

 Q プーチン氏はずっと権力を握っているようにみえるね。

 A 現在のプーチン氏は通算4期目です。任期4年だった大統領職を2期8年務めた後、08年に首相に横滑りしましたが、権力を握り続けました。その間に大統領の任期を6年に延長させたうえで、12年に大統領に返り咲き、18年に4度目の当選を果たしています。今回の任期は24年に終えるのですが、20年に憲法を改正しており、再び大統領選に出馬できる環境を整えたのです。プーチン氏の判断次第で、83歳になる36年まで最高権力者に残れる計算になります。

 Q プーチン氏が統治するロシアはどんな国といえるの?

 A ソ連時代のプーチン氏は情報機関だった国家保安委員会(こっかほあんいいんかい)(KGB)に勤務し、独立後のロシアでも広く知られる存在ではありませんでした。それでも99年に首相に就くと、この年に再発したチェチェンの武装勢力との紛争(ふんそう)に強硬(きょうこう)姿勢で臨み、国内の支持を集めたのです。国際社会でロシアの地位を回復させたと評価される一方で、強権的な統治(とうち)手法は批判を浴びています。

 9月の下院選(かいんせん)では、政権与党以外の政党も議席を得ています。しかし政権の政策に反対することは少なく、民主主義とはほど遠いと言わざるを得ません。20年8月には情報機関が神経剤を使い、反体制派のナワリヌイ氏を暗殺しようとしたとされる事件も起きています。欧米諸国も批判を強めており、対立関係に戻っているのです。(外信部)<グラフィック・平山義孝>


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