五輪連覇の父持つ柔道・斉藤立 立ち直るきっかけは恩師の一言
- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷

柔道男子95キロ超級で五輪2連覇を果たした故・斉藤仁(ひとし)さんの次男で、100キロ超級の立(たつる)=国士舘大=がシニアの国際大会で初優勝した。偉大な父を持つがゆえの期待や重圧を背負い、自分を見失いかけていた19歳が立ち直るきっかけとなったのは恩師の一言だった。
父の遺影の前で漏らした弱音
10月初旬、斉藤は大阪市内の自宅で仏壇の前に座って、父の遺影と向き合っていた。「何をやっても、うまくいかへん」。珍しく弱音を吐き、しばらくその場から動かなかった。大会を前に調子は上がらず、母三恵子さん(57)にも「最近全然あかんねん」と漏らすほどだった。
今夏の東京オリンピックで柔道日本代表は男女計9個の金メダルラッシュに沸いたが、男子100キロ超級はメダルを逃した。男子は看板である最重量級で3大会連続で金メダルを手にしておらず、2024年パリ五輪に向けて日本柔道界のタイトル奪還への思いは高まる。
身長190センチ、体重150キロ超と体格に恵まれ、180度開脚しながら胸が床につく柔軟性を兼ね備えた斉藤への期待は高い。父仁さんが日本勢で唯一、重量級で五輪連覇を果たしたとなれば、なおさらだ。大学の総監督を務める日本代表の鈴木桂治新監督(41)の指導にも熱がこもり、柔道界の他の指導者からも多くの助言をもらった。だが、斉藤は気負うあまり、空回りしていた。三恵子さんは「意外と繊細で、みんなの助言に応えようとしていた」と振り返る。
「基本を思い出しなさい」
苦しむ斉藤に気づいたのが、10月上旬に大学の道場を訪れた母校、東京・国士舘高の岩渕公一監督(66)だった。父の国士舘大の先輩で、指導者としての親交も深かった岩渕氏は遠い間合いでも、やみくもに技を掛ける姿を見て「(技のタイミングが)ばらばらじゃないか。基本を思い出しなさい」と声を掛けた。斉藤は幼い頃から父の英才教育を受けてきた。とりわけ、重要な足の踏み込み位置は「ミリ単位」でこだわるほど徹底されたが、斉藤の柔道は父の教えとかけ離れていた。
全身の力を適度に抜いて肩幅に構える「自然体」の状態から自分の間合いを計って投げる――。岩渕監督が基本の重要性を説くと、斉藤は「すっきりしました」とうなずいたという。基本に立ち返ったことで、鈴木監督から指導された組み手などの実戦的な技術も吸収できるようになった。
鈴木監督の計らいで10月のグランドスラム(GS)パリ大会から練習パートナーとして日本代表に同行。本格的なシニアの国際大会デビューとなる、11月のGSバクー大会(アゼルバイジャン)までフランスで海外勢と稽古(けいこ)に明け暮れた。充実した日々を過ごすことができ、「怪物のように強い外国の選手もいる。『井の中のかわず』であることに気付くことができたから良い結果を出せた」と振り返る。
バクー大会は1回戦で父直伝の体落としで勝ち、勢いに乗った。準々決勝では18年世界選手権2位のウシャンギ・コカウリ(アゼルバイジャン)を内股で破り、4試合全てを一本勝ち。優勝した感想を問われると、斉藤は「ほっとしたという気持ちが一番強い」と率直に語った。
パリ五輪に向けた確かな一歩
ただし、東京五輪後の休養期間でトップ選手の参加が少なかったこともあり、真価が問われるのはこれからだ。同じ階級には今年の世界選手権を制した影浦心(25)=日本中央競馬会=ら強力なライバルがいる。鈴木監督は「しっかり投げる良い柔道を見せてくれた。成長を感じた」と評価しつつも「結果を残せば研究される。勝ち続けることが大事」と、さらなる成長を求めた。
腰などのけがで、出場が期待された東京五輪は代表争いに絡むことも、かなわなかった。それだけに3年後のパリ五輪への思いは強い。「勝ち続けないと代表には選ばれない」。強い覚悟で代表争いに挑む。【松本晃】